65才をむかえて

Shin1

◆祈り会の日が祝日と重なり普段出席できない人が来ていた。私の隣には高1のM君。祈り会後の昼食の時、彼は「ユッコ先生よかったら少し飲みませんか」とコーヒーミルクのパックから私の紙コップに入れてくれました。何だかとっても嬉しかった。やさしさが身にしみる年齢です。

◆私が<老い>を自覚したのは40才の時 視力のよかった私が聖書も新聞も引き離して見ているではありませんか。<老い>ってナニ?

◆ポール・トゥルニエは、著書「老いの意味」の中で『老いの意味とは死、すなわち神とのめぐり合いのために身を整え、この世のもろもろの事を諦め天国に入る準備をすることではありません。それがどんなに完璧であっても それは私の準備によるものではないのです。死への準備とは、人生のすべての時期に渡っていえること』と『美しき老年とは世界に心開き、人間に注意を怠らない、そして戦い続ける。しかも情熱的に。なぜなら、人生はいつも戦いの連続だからです。何と戦う?心配、疑惑、恐怖、絶望...と』

◆70才を過ぎたO兄は、礼拝、祈り会の帰りには必ず牧師と握手をします。その力は、(若者以上の力強さ)との事。これは私たちをイエス様から引き離そうとする力と日々戦う決意のあらわれではないでしょうか。

◆自分の弱さとこの世の強さに打ち勝つため、日々真剣に神に助けを求めていきたい。                 (石田幸子)

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