神殿建築計画の勇士が揃った ④

Shin1

◆3月に沢田兄が大阪単身赴任から戻ってきた。沢田姉と共に会堂建築委員に加わってもらった。基本設計、土地地質調査が行われ、桃源台の土地に建てられる神殿建築計画は前進した。

◆建築業者の選定のため、三社と後からの一社に見積もりを依頼した。どこも一億円を越える見積もりであった。更に交渉をしようとすると、体のいい断りを言って去って行った。イエス様に「神の国に入るためにはどうすればいいですか」と質問して、この世に未練のあることを指摘され、顔を曇らせて去って行った青年のように思った。私たちは神を礼拝する神殿を造ることを強く思わされた。そしてペテロ建設の小林社長を知ることとなる。4500万円でできる教会の依頼をした。「未完成の教会」...JOYの思いであるが、小林社長は私たちのこの思いを共有してくれた。そうして契約に至った。ここに神殿建築の勇士が揃ったのだ。

◆ペテロ建設が工事をした中野教会を委員全員で見学に行った。隅から隅まで見せてもらった。JOYの教会の建築に関する考えとは少し違うようだったが、中野教会の思いを感じた。この教会が鈴木兄の小さい頃通っていた教会と聞いて、神の不思議な業を知らされた感じである。

◆教会では神殿建築への思いが一つになっていった。建築予定地やその周辺の草むしりをみんなで行ったこと。外壁の色をCSの生徒も加わり、盛り上がりの中、決めたこと。定礎式の時に埋め込む聖書を入れる缶に、みんなで寄せ書きをしたことなどがその現れである。

◆夏の暑い時に工事が始まった。地盤を強化するため70カ所に12mの深さの穴を開け、土壌改良材を注入した。基礎の鉄筋の数は素人目にも多くしっかりとしたものである。これらは「岩の上に教会を建てよう」の御言の成就のためと思わされた。二日に亘る棟上げを濱田委員長が、ビデオに撮ってくれた。工事が進むにつれ委員会開催が増えた。小林社長もほとんどの委員会に加わってくれた。毎週の祈り会の後に、現場の変化に感謝しつつ祈りを捧げた。工事用ネットが取り外され、青い建物が現れた時、「会堂ができた」と言う感動で一杯になった。十字架が取り付けられ、教会名が入り「桃源台の青い教会」は完成した。<終わり>     (伊東昌彦)

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