待ち望むということ (1)

Shin1

◆今は、待てない時代である。欲しいものはクレジットカードやインターネットですぐに手に入る。我慢しなくても、時期の到来を待たなくても、いつでもしたいことができる。それを可能にし、すすめているのが科学技術であり、24時間営業のお店であり、「待つな」というコマーシャリズムである。欲望がかり立てられ、待つことが愚かに感じられてくる。便利になればなるほど待つのが苦手になり、「自然に時が満ちる」のをじっくり待つという考え方は、時代遅れになってしまった。

◆「待つ」という態度は、今日、まったく人気がない。ほとんどの人は、「待つ」という態度は時間の無駄だと考えている。多くの人にとって待つということは、いま立っている場所と、やがて行き着こうとする場所のあいだにある不毛の地にほかならないのです。

◆私たちが生きているこの時代は、歴史的にみても、待つことをとても困難にしている。それは、私たちが「恐れ」にとりつかれているからではないか。今日、私たちを取り囲む風潮の中で、もっとも支配的な感情の一つは、漠然とした「恐れ」です。人々は、内にある感情を怖がり、他人を怖がり、将来を怖がっている。恐れにとりつかれた人々は、待つことに耐えられないのです。

◆ところで、待つことにかけては聖書の民イスラエル民族の右に出るものはない。イスラエルは、その歴史をもって、私たちに「神の時」を待つべきことを教えてくれているのです。(続く)

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