待ち望むということ (2)

Shin1

◆ノアは「箱舟を造れ」と神に命じられてから雨が降り出すまで、一説によると120年間待ち続けた。アブラハムは「あなたを大いなる国民とする」という主の約束を受け、死ぬまで待ち望んだ。モーセやカレブは荒野の40年を耐え忍び、約束の地カナンに入る日を待ち続けた。ダビデは、前王サウルを葬り去るチャンスがあったにもかかわらず、決して手を下さず、迫害に耐え、神の時を待って王位に就いた。ダビデに「待つ」という忍耐がなければ、あんなに堅固な王国は建設できなかったであろう。

◆また、イスラエル民族はメシア(救い主)が来られるという神の約束を信じ、何百年、何千年と待った。そうして預言通り来られたキリストも、十字架の時を33年半待たれた。その弟子たちも、約束された聖霊が臨まれるのを待って教会を建てあげた。

◆中には待たなかった者もいた。あと半日待てなかったために王位を失ったサウル王、キリストが十字架にかかる直前に首をくくって死んだユダなどがそうである。ユダはあと3日待っていれば、復活のキリストに会うこともできたのだ。地獄と天国が、正味48時間の差で決まったと言えるかもしれない。同じく土壇場でイエスを裏切ったペテロは、キリストの復活を待ち、赦しを受けて初代教会のリーダーとなっていったのだから。

◆イスラエルは、その歴史をもって、私たちに「神の時」を待つべきことを教えてくれている。           (続く)

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