昨日の礼拝後のスモールグループでは、いつもより多くの時間、話し合っているグループが多くありました。それほど、今私たちがこの課題に対して強い思いをもっていることの現れなのでしょう。
「中立の危険性」 私たちがいま立っているところは?
昨日のメッセージのタイトルは、「中立の危険性 〜掃除された空家〜」。
ルカ 11:24-26から。
クリスチャンになり、汚れた霊が追い払われても、いつも心に聖霊様にいていただかなければ、悪い霊がほかの霊をつれて、前よりも悪い状態になる。
一度洗礼(バプテスマ)を受け、神様から離れた人が、また神様に立ち返ることは非常にまれであるという。私の廻りを考えても、いやでもそれが事実であることを感じてしまいます。
メッセージの中で、これを打ち破るには祈りと主のあわれみしかないと。
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。」(黙示録3:15)
神様が私自身に求められていることをもう一度再確認させられるときでした。
JOYにはめずらしく、午後は多くのミーティングがもたれていました。
CS教師会、バザー委員会、複数牧会委員会。
その最中、子供達はいつものとおり、会堂中を走り回ったり、楽器の練習をしたりしていました。