霊的に成熟した教会を目指して ⑵

Shin1

◆牧師交代期を迎え、何よりも大切なことは、私たち一人ひとりが霊的に成長し、霊的に成熟した教会となることが求められています。

◆霊的に成熟したクリスチャンをイエスさまは弟子と呼びます。弟子(Disciple)になるには、訓練(Discipline)を受けることが必要です。私たちは訓練を受ければ受けるほど成長し、神は私たちを大きく用いてくださるようになります。

◆弟子のしるしは、「十字架を負うことである」(ルカ14:27)とイエスさまは語ります。さらに「日々、自分の十字架を負って、従ってきなさい」(ルカ9:23)と、「毎日、自分の十字架を負うて従うこと」が求められています。

◆「十字架を負う」とは具体的にどういう意味でしょうか。どのような犠牲を払うことになっても、人生においてキリストを第一にするということです。

◆「弟子」となるためには身につけてきた古い習慣を脱ぎ捨て、新しい習慣を身につける必要があります(コロサイ3:9〜10)。私たちはみな、習慣の生物です。人格というのは習慣の総計であり、私たちの大半は習慣によって形づくられています。

◆悪い習慣をやめるためには、それを何か別の「良い習慣」「正しい習慣」と取り替える必要があります(ローマ6:19)。聖書は「自分自身をささげなさい」と教えているように、自発的にその健全な習慣を身につけたいという強い意志がまず必要です。      (続く)

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