『 苦難の意味(3) 』

Shin1

◆苦悩の果てに「神が見えない」という絶望の叫びをヨブは次のようにうめいています。
「きょうもまた、私のつぶやきは激しく、私は祈る気持ちさえなれない。どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きなさい。」                            (ヨブ23:3 現代訳)

◆もちろん子ども、財産、健康、その一切を失ったことが直接的にはヨブを揺るがし、ここまで追いつめたのでした。しかし、その果てにあってヨブにとどめを刺して、ついには彼を絶望につき落としたのは、この「神と会えない」「神が見えない」という絶望の叫びに行き着き、それが神との関係における「壁」だったのです。

◆「ことばは肉(人間)となって、わたしたちの間に宿られた(住まわれた)」とヨハネが証言するとおり、本来見えない神、触れることのできないはずの神が、「見える方」「触れることのできる方」として私たちの世界に来られたということは、何と感謝なことでしょうか。

◆私たちは、「苦悩に直面したその果てに、その究極の答えとしてこの方を見なさい」と大胆に、確信をもって告げることができます。そしてさらには、「神を見せよ」、との問いに対する究極の答えとしても、「人となられたこの神、イエス・キリストを見なさい」と、はっきりと告げることができるのです。

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