『 苦難の意味(4) 』

Shin1

◆旧約聖書に紹介されているヨセフの生涯は、いわば不幸の連続でした。実の兄たちに憎まれてエジプトに売られます。さらに身に覚えのない罪を着せられて投獄されます。

◆「もうあなたの人生にいいものなんか残ってないよ」というあざける声が、時々聞こえないでしょうか。「もうあなたの人生は駄目だよ。あなたの家庭、あなたの学校、あなたの会社、あなたの人間関係、あなたの健康、もう駄目だよ。あきらめな、全然もう希望ないよ」そう言ってあざける声が、時々聞こえないでしょうか。

◆これが人生で一番つらい悪魔の声です。私たちは、「幸、不幸を決定するのはその状況である」と考えます。しかし、本当にそうでしょうか。

◆ヨセフは、しあわせとはかけ離れた状態の中で彼は決して不幸ではありませんでした。それどころか驚くことに、彼はどこに言っても大きな祝福に包まれたのです。聖書はその理由をはっきり語っています。「主がヨセフと友におられ、ヨセフのすることを主がうまく計らわれたからである」(創世記39:23)

◆祝福は、その状況や自分の能力によって決まってしまうものではありません。ただ、「主が共におられる」か否かの一点にかかっているのです。

◆もちろん苦難はあります。「その状況を変えてください」と祈り求めるのではなく、「この不遇に思えるただ中にあって、「主が共におられ祝福してくださるように」祈りたいものです。

過去の記事