◆ペンテコステ(聖霊降臨)の出来事によって弟子たちはこの世に向かって公に主イエス・キリストを宣べ伝え始めました。
◆しかし、弟子たちは万全の準備や体制、神学的理論や潤沢な活動資金が整ってから、宣教に乗り出したわけではありません。イエス様の復活から50日間、昇天から10日目に、このペンテコステの出来事が起こり、それこそ何が何やら分からぬまま、弟子たちは「"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。あれよあれよという間に「宣教を開始させられた」というのが現実であったように思います。
◆人間的に考えれば、宣教(伝道)に働きかけるのは「もっと良い機会に」、「もっと準備してから」、「もっと状況が好転してから」というほうが自然なことだったといえるでしょう。
◆しかし、聖霊は弟子たちの思惑や都合にかかわらず、風のように炎のように、自由自在に彼ら彼女らの上に降り注いだのです。
◆宣教(伝道)は聖霊のわざであり、神ご自身のわざであって、「神の宣教(ミッシオ・デイ)なのです。宣教は人間の計画や発意によるものではないのです。弟子たちは「"霊"が語らせ」たので語らざるをえなかったのです。
◆JOYチャペルの開始の時と重なります。何の準備や計画も資金も持たず、あれよあれよという間に宣教を開始していたのですから。