『 不完全な者に期待される神 』

Shin1

◆「私たちはみな、多くの点で失敗するものです」(ヤコブ3:2新改訳)。なんと慰めに満ちたことばでしょうか。背伸びせず、正直に自分を認めていいのです。

◆旧約の大預言者エリヤについてヤコブは、「エリヤは、私たちと同じような人間でした」(ヤコブ5:17)と記して、私たちと同じ弱点をもち、私たちと同じ失敗をする人間だったことを伝えています。

◆完全なモデルは、かえって私たちに近づき難い印象を与えますが、エリヤの弱さは、神に近づこうとする人々に別の意味の励ましを与えてくれます。

◆私たちにとって大切なこと、それは、失敗しない自分を追い求めることではありません。また、失敗のない隣人を要求することもないのです。否、逆に多くの点で失敗する欠けだらけの現実の姿に自分にも隣人にも正直に認めることではないでしょうか。

◆「失敗しない自分」に立とうとする信仰。そこには必ず無理が生じます。「不完全な私、罪深い愚かな私」であることを心底から認めることです。それは、そんな私を無条件で受け入れて下さっている神が、そんな私に期待をかけて下さっているからです。

◆イエスさまが捕われたとき3度もイエスさまを知らないと否んだペテロでしたが、それでもなおイエスさまはペテロに大きな期待をかけられたのです。

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