『  主よ 私は歩けないのです。 詩篇23篇  』11/13

Shin1

◆3月11日の東日本大震災から9カ月、無我夢中で走ってきたように思います。振り返れば多くの人たちに支えられてきたことに気づかされます。しかし感謝を忘れ自分で走り抜いてきたかのように錯覚するのです。私が歩けなくなったときどれだけの祈りがありどれほどの愛で支えられてきたのでしょうか。

◆ 岩手県釜石市にある釜石新生教会の柳谷祐介牧師の証を聞きました。『3月11日の震災後、教会に避難してきた人たちとわずかしかないパンをちぎり共に分けあい食事をした。その時、この場所に主イエス・キリストがおられることをはっきりと感じた。不思議な出来事だった。』

◆「主は私の牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。」(詩篇23:1~2)若いころのダビデは自分の羊を救い出すためにライオンと一人で戦うほどの良い羊飼いでした。(Ⅰサムエル17:34~35)しかし老年に至った時は自分の家庭も治めることができない愚かさを深く自覚しながら、自分を弱く愚かで臆病な羊にたとえ、神様のあわれみなしには生きてはいけないと告白するのです。

◆ どれだけ自分を威勢よく見せようとしていたことが愚かであったか、「主よ、私は歩けないのです」と告白したときから私の重荷は軽くなりました。弱さの中で神様と人を信頼する歩みを始めることができるようになりました。主は私の牧者となったのです。
(鮫バプテスト教会 林 健一)

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