『  偏見がある人 〜 ナタナエルの場合 ① 〜 』 11/27

Shin1

◆ナタナエル(バルトロマイとも呼ばれていた)のことをイエス様は「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」(ヨハネ1:47)と「真実で正直だ」と評価しています。これほどすばらしい賞賛がほかにあるでしょうか。

◆「真実で正直だ」とは完全な人格のことを言うのではありません。この世に完全な人は一人も存在しません。「正しい者はいない。一人もいない」(ローマ3:10)からです。「真実」とは、自分が神様の前で変えられなければならない存在であると受け入れる心を言います。自分が神様の前に罪人であることを認める心、自分が神様の前で足りない事を受け入れる心なのです。今は足りないけれども、あるがままの姿で主の御前に進み出て、主によって歩みをする人生を、聖書は「真実の人生」と言っています。

◆ナタナエルは完璧な人だったでしょうか。彼は偏見に満ちた人でした。ナタナエルは最初イエス様のことを「ナザレから何か良い者が出るだろうか」と冷ややかに見ていました。これこそ大変な偏見ではないでしょうか。

◆ナタナエルは、イエス様に出合って自分が間違っていたことを知って、「イエス様は神の子」(ヨハネ1:49)と告白したのです。彼は、自分の考えに固執せず、自らの思い込みを改める姿勢を持っていたのです。このような心の持ち主のナタナエルをイエス様は「真実で正直だ」とおっしゃって12弟子のひとりになさいました。

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