『 小さいものも、用いられる 〜小ヤコブ(2)〜 』 12/18

Shin1

◆多くの人々が、隣人よりも大いなる者になろうと必死です。けれども、神様は私たちが大いなる者となって成功することを願ってはおられません。神様は、私たちが成功する人ではなく成熟した人になることを願っておられます。成熟した人がより大きな人なのです。「小さい」「大きい」は神様の観点ではないのです。神様の目には、その人が「成熟した人」なのか「未熟な人」なのかということが重要なのです。

◆聖書には、「小ヤコブ」については何も記されていません。けれどもはっきりしていることは、彼はイエス様の弟子に選ばれて用いられたということです。「小ヤコブ」とは「ごく小さい事に忠実な者ヤコブ」とイエス様に信頼されていたのではないでしょうか。小事に忠実な人こそ成熟した人として、イエス様に「本当に価値あるものを任される」(ルカ16:11)のです。

◆小事に最善を尽くして忠実に行なうこと、遅刻しないで、正直さを守り、自分のなすことを誠実にすること。そのような小さなことが大きな人生を生きる原動力となるのです。

◆小さくても大丈夫。神様が用いてくださいます。小さくても成熟した人となりましょう。小さくても重要な部分を担う人となりましょう。そして、小さいけれども、用いられる喜びを享受する、神の人となりましょう。

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