『 弱いからこそ用いられる 』1/15

Shin1

◆最近、もがけばもがくほど泥沼にはまり込んで、抜け出せなくなっている人が増えてきています。あちこちで人々の心を痛めるニュースが聞こえてきます。その中で私たちは、限りなく弱く、無力な自分と出会うのです。果たして神様は、こんなにも弱く、足りない私たちをも、見捨てずにいてくださるのでしょうか。

◆そうです。神様はそのような弱い者たちに関心を持っておられます。いや、むしろそのような弱い者をこそ引き上げて、お用いになられるのです。
◆パウロは、何一つ欠けたところのない人物でした。このような者は、高慢にさせる危険性を秘めています。そこで神様は、パウロにとげを与えられました。神様はパウロを弱い者にされたのです。このとげによって、パウロは完全に神様だけに依り頼む者となり、全能なる神様の御力をこの世に現すようになったのです。パウロは、「自分の弱さ以外には誇りません」(II.コリント12:5)と語っています。強いものでさえ弱くしてから用いられる神様にとって、私たちの弱さは何の障害にもなりません。私たちが神様だけを頼り、死に至るまで忠実に歩むなら、必ず大いに用いられます。弱くても用いられる。いいえ、弱いからこそ用いられるのです。
◆すべての力の源は神様にあります。無限大に10を掛けても、1万を掛けても、答えは同じ無限大です。つまり、無限大の力を持っておられる神様にとって、私たち自身の力は何の助けにもならないということです。大切なことは、この神様に頼るか頼らないかということだけです。

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