『 小さな信仰を用いられる 』1/22

Shin1

◆世の中の基準で見るなら、イエス様の弟子たちは取るに足りない人々でした。私は、弟子たちを一人ひとり調べてみて、彼らが本当に取るに足りない人物であるということを悟りました。けれども、イエス様はその弱い弟子たちを通して、福音を伝えることを願われ、地の果てにまで教会を建てることを願われたのです。弱い弟子たちが徹底的に神様に頼ることを学ぶように願われたのです。神様を頼る弱さは、決して弱さではありません。この弱い弟子たちが、悪魔の国を滅ぼし、世界をひっくり返す戦士として立ち上がったのです。

◆弟子たちは、強い者が成し遂げることのできないことを成し遂げました。私たちも、使命を成し遂げられないはずがありません。イエス様はJOYチャペルを通して、驚くべき御業を行ないたいと願われ、そのために選ばれたのは成熟した人ではなく、未熟な者、取るに足りない者を選ばれました。

◆平凡な私たちが持っているものはわずかなものです。そのわずかなものとは「からし種ほどの信仰」だとイエス様は言っておられます(ルカ17:5〜6)。「からし種ほどの信仰」つまり非常に小さな信仰であっても、神様の働きをするには十分だということなのです。

◆主は未熟な者、取るに足りないものを用いられます。その小さな信仰を用いて、偉大なことを成し遂げられるのです。大きな信仰がなくても良いのです。からし種ほどの小さな信仰でも、神様の働きを十分にすることができるのです。

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