『 荒野大学に入学する 』 6/17

Shin1

(定例祈り会より②)
◆モーセが開花させた力の源は、モーセが「主が顔と顔を会わせて彼を選び出された」(申命記34:10)ところにありました。この神様との対面の経験は、いったいどこから始まったのでしょうか。荒野において始まったのです。

◆今、人生の荒野に直面しているでしょうか。それならば今が始まりのときです。神様に出会い、神様おひとりだけを知ることができれば、残りの問題はすべて解決します。一つのことに集中する人生となる必要があります。神様は、私たちの人生の複雑なものを整理して一つに統合するために、私たちが荒野に置かれることをお許しになるのです。

◆荒野は何の助けもないように見える場所です。しかし荒野こそ、神様が火の柱、雲の柱をもって導かれる所です。マナとうずらをもって養ってくださり、岩から水があふれ出る所です。聖徒はこの荒野の体験をとおして、備えてくださる神様の臨在を確信するようになるのです。

◆聖書は、人間的な努力によっては、魂の乾きは満たされないことをはっきり語っています。魂の満たしは、上から注がれることに徹底的に依存しているのです。荒野を通った民は、人間的な努力には頼らなくなります。荒野は私たちの思考の枠組みを完全にかえてしまう所なのです。「自分の力(努力)で生きていきます」と歯をくいしばっている人も、荒野を通過すると「すべてを満たしてくださる方は神様です」と告白するようになります。これこそ信仰の成長です。荒野は、聖徒たちに必要な教育を与えるところなのです。

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