『モーセの足跡から 〜まことの安息の意味(1) 〜』 8/26

Shin1

◆私たちが困難の前に置かれた時、神は私たちに何を最も願っておられるでしょうか。それは、私たちが何かを行なうことよりも、幼子が安らかに母の胸に抱かれるように、主のふところで安息することを願っておられます。主の御元にあって私たちが、安心し、回復されることを最も願っておられます。私たちは働きを担う前に、必ず主の前に安らぎを得、平安になることが必要です。自分が幸福でなければ、ほかの人を幸福にすることは絶対にできないからです。

◆私たちは、自分が幸せであって初めて、他の人の幸せを認めることができます。自分が平安であってこそ、人の平安を認めることができるのです。もし自分に平安がなければ、他の人の平安がとげのように感じます。自分の魂がリバイバルしていなければ、他の魂がリバイバルしている様子が耐えられないのです。重要なのは、まず自分が回復することです。何よりもまず、神の恵みの中にあって回復をいただかなければなりません。

◆神がみことばをもって天地創造された時、6日目にアダム(人間)を造られました。その翌日は安息日です。アダムはこの世に生まれて最初の日を、安息から始めました。このように、人の人生は、「安息」から始まらなければなりません。生まれたばかりの幼子がすぐに働くことはできません。まず母親のふところの中で、十分安らぐことから始まるのです。十分に安息を得ることのできた子どもは、健全に成長することができるのです。

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