『モーセの足跡から 〜神が戦われる(1) 〜』 9/2

Shin1

◆エジプトの王ファラオは10の災いによって息子までも失い、とうとうイスラエルを解放しました。しかし、民が出て行った後、あきらめきれずに彼らを追いかけてきます。私たちはこのファラオの姿から、悪魔の姿を見る事ができます。悪魔はとてもしつこくて、あきらめることを知りません。

◆悪魔は聖徒を何とかして倒そうと血まなこになっています。ファラオが追いかけて来たので、イスラエルの群れは追いつめられ、前には海、後ろにはファラオの軍隊が迫って来ています。私たちが人生(信仰生活)を生きて行く中でも、困難が押し寄せて来ることがあります。試みが来る時は、立て続けにいろいろなことが起こるのです。悪魔は、私たちが白旗を掲げて降参することを待っています。

◆こんな時、私たちはすぐに短気になって、「恨み」という感情に負けてしまいそうになります。イスラエルの民は今までの神による奇跡も救いもすべてを忘れて、恨み、不平不満を言います。「エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりもましだ」と。私たちも恨みから不平をこぼし「なぜこんなことをしてくれたんだ」と嘆くような、弱い者なのです。

◆神はそんな私たちにどのように命じられるのでしょうか。「じっとしていなさい」と命じられます。じっとしているということは、決して投げやりになってしまうことではありません。ただ神の助けと力を求め、神が戦われるのを待つことです。

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