〜遠野の風だより〜 No.21

ありこ

12月7日は北海道、青森、岩手の教会チームの野田村仮設支援の日でした。
私たちも久しぶりに参加させてもらいましたが、午前、午後と二箇所の仮設でお茶会と
クリスマスプレゼントのお菓子とお米を各家庭にお配りしました。
お茶会に来てくださる方は皆さん笑顔でお元気ですが、やはりどこの仮設の方も同じ
ですが、先の見えない生活の不安を抱えておられます。

さて野田村仮設支援からの帰り道、宮古市の市街地に入ったところで大きな揺れを感じて
路肩に車を止め、揺れがおさまるのを待ちながらラジオをつけました。
電線が大きく波打ち、長いゆれで周りの車もハザードを付けて止まっています。

やっと揺れがおさまったころ、ラジオからは震度5弱の地震があったことが告げられました。
しかし帰宅ラッシュの始まりかけた市街地に留まってはいられません。
宮古市の防災放送は「高台に避難してください」と連呼している中で車を走らせます。
すっかり暗くなった土地勘の無い所で、それでもとにかく坂道を上がらなければ、
と高台の住宅地で上がり、津波到達時刻まで留まりラジオを聴いていました。
でも、いつまでたっても津波到達の情報は無く、恐る恐る車を走らせ、国道45号線を南下しました。
田老町、山田町と被災地ではほとんど街灯が無く、途中消防車や消防団の車とすれ違い、
海はすぐ左にあるのに、真っ暗で海原が見えないのは緊張が高まります。
45号線を走りながら高台に来たときは、様子を見るために車を止めることを繰り返し、
やっと大槌町まで戻ってきました。
大槌町では川沿いや橋に消防車、警察が待機して注意勧告していましたが、ほどなくして
津波注意報が解除されたので、ホッと緊張も取れ、無事に遠野に帰ることができました。

今回の地震では、大きな被害が無く良かったのですが、数時間前に訪問した
野田村中学校に170余名の避難者があるとラジオから聞こえてきました。
お茶会でお会いしたお一人お一人の顔が浮かび、また別の地域では食料品を買い求める
人たちでコンビニに列が出来ている、と。
私もこの地震で恐怖を覚えましたが、実際に1年9ヶ月前に津波を経験した方々の
恐れはいかばかりかと想像するとき、早く平安が来ますように と祈らずには
いられません。

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