今週の一面『 無理をされないように 』1/6

Shin1

◆昨年クリスマス礼拝で、体調不良となり、救急医療センターで加齢と過労による『発作性心房細動』と診断され、多くの方々から「無理をされないように」「お祈りしています」と言われました。

◆ところで「無理をしないように」と言うことを今の自分のこととして注意していこうと思ったのですが、「無理をしない」ということがとっても難しいことだということに戸惑いを覚えています。

◆「ぼちぼち」なのか「のんびり」なのか「休養を十分取りながら」ということなのか、そんな生活では、牧師としての働きができないのではないか、メッセージは、祈りは、さまざまの牧会のことは...。

◆今まであまり意識しなかったことで、いやでも意識せざるを得ない「無理をしない」とは、「老い」ということなのでしょうか。74年も使ったのですから、部品が傷むのは当たり前と、頭ではわかっていても、ふがいない自分を受け入れるのは、易しいことではありません。

◆今年も聖書の人物で長生きしたモーセやヨハネから学び「老いは神の賜物と、意識できる自分になりたい」(「置かれた場所で咲きなさい」渡辺和子著より)と願っています。

◆「牧師は早朝3〜5時間祈らなければ牧師の働きはできない」と常々語り、実践されてこられたチョーヨンギ牧師が、「このごろは朝が起きられない、早天祈り会に出られなくなった」と言われて、少しホッとしています。

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