今週の一面『 中断される人生を生きる(1) 』 6/2

Shin1

◆本日は、故澤田寿子さん 召天一周年記念日です。45才で召されました。人生佳境に入り、妻として、母として、信仰者として、したいこと、なすべきこと、体験したいことがふんだんにある、まさにその時に召されたのです。それは中断された人生であったと言ってよいと思います。

◆「中断される人生」は、実は万人の真相であり、なによりも、キリスト者のわたしたちの生き方ではないでしょうか。そのことを寿子さんの生き方により、教えられました。

◆キリスト者というものは、この「中断される人生」を特別な仕方で今すでに生きている人ではないでしょうか。日曜日ごとの礼拝の生活は、まさにそうした中断される人生を生きていることなのではないか、と思うのです。 日曜日ごとの生活において私たちは、日常生活の営みを断ち切り、いわば人生を中断して、礼拝の中へとやってきます。時にはそれがつらく思えることがあるかもしれません。週日の仕事、課題、義務、責任が私たちを離しません。放っておけば、どこまでも私たちの時間を求め、侵入してくるものです。それを断然断ち切ることは、時に甚だつらいことがあります。いまの時を逃がしては、今まさに自分(自分のこども)は佳境に入っている。しかし、その時、日曜日が来るのです。

◆大変な苦悩と葛藤を通して、日曜日ごとの人生の中断をもって、人生の主人は自分ではない、神こそわが人生の主であるという厳粛な事実を、礼拝最前列「金の席」に座り続けた寿子さんは、「中断される人生」を生きた方です。 (6/16につづく)

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