◆「いかに幸いなことか神に逆らう者の計らいに従って歩まず罪ある
者の道にとどまらず傲慢な者と共に座らず」 (詩1:1)
「息ある者はこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」(詩150:6)
◆詩編は「幸いなるかな」に始まり、「ハレルヤ」で終わる150編
の神の言葉である。賛美であり、祈りであり、嘆きが柱となっている。
第1編と第2編そのものが150編全体の標題となっている。神のトー
ラーの1編とメシア預言としての2編が詩編全体の最初にあるのは、
詩編全体が神の言葉として、またメシア待望の終末論的仕方で読ま
れるべきことを示唆している。
◆イスラエルの民は紀元前587年にバビロンによって侵略され、主な
人たちはバビロンに連行される。神はどこにおられるのかと嘆き悲しむ
が、嘆きから賛美へ、前に向かって生きる信仰の表明となっている。
「それでも人生にイエスと言う」という生きる意味を探求したフラ
ンクルの「夜と霧」に共鳴している。
◆東京バプテスト神学校の夏期公開講座で詩編は聖書の中の聖書である
と救いと希望を語ってくれた小林洋一先生に感謝! (神山 武)