今週の一面『 賜物としての眠り 』 8/3

Shin1

◆年を取って知ることの一つに、「眠りは、神の賜物だ」ということです。不眠病に苦しむ方は、よくわかると思います。この地上におけるわたしたちの生活は、活動と休息、眠りと目覚めが交錯するようになっており、休息しなければ働けませんし、眠らねば、目覚めていることができません。

◆このリズムのコントロールが高齢になると規則的に取りにくくなり、薬などに頼るようになります。日中とちがって、夜になれば、自分たちを意識的にコントロールする必要がなく、眠りにつくことができ、すべてを神のみ手に委ね、何も心配しなくてもよい、ということは、なんという恵みでしょうか。

◆ところで、わたしたちは、神にもっとふかく本気で信頼する者になることが求められます。そのような者には、もっとふかい眠りがおとずれます。このことを詩編は「主は愛する者に眠りをお与えになる」(詩編172:2)といっています。主を愛する者とは、主によりたのむものです。信頼にみちた心以上によい睡眠薬はありませんし、祈ってまかせる以上に、
よく眠れる方法はないのです。

◆しかし現実は、「賜物としての眠り」は、年寄りの問題というより、大人も子どもにも多くの人々にとって深刻な課題となっています。神の賜物としての眠りをどんどん削り、少なくしてしまうことが神の創造の業に逆らうことであることを忘れてはなりません。「第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった(眠られた)。」(創世記2:2)

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