今週の一面 11/9

Shin1

子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない

(マルコ10:15)

◆「子供」と訳されている言葉は、他に「幼子」(文語訳、口語訳フランシスコ会訳等)と訳されていることが多い。「幼子」とは児童福祉法で、「満1歳から小学校に就学するまでの子供」とされている。イエスは弟子たちに「幼子」のようになる大切さを教えている。幼子のようになるとはどういうことだろうか。

◆「幼子」は、持っていない、知らない、できない。つまり、自分の力で生きることのできない弱い存在である。しかし、「大人」にとっては、持っていない、知らない、できない、ことは恥ずべきことであり、持っている、知っている、できる、ことで大人はその人の価値や能力を見出すのである。だから大人は、持っていること、知っていること、できることに満足し、それらに誇りを持つ。その誇りこそが「神の国を受け入れる」ことを邪魔しているのではないだろうか。

◆「幼子」のようになるということは、神の前に弱く、小さく、低くなることである。神の前に自分の弱さを認め、自分には神の助けが必要であると認めたときにはじめて、幼子のように神の国を受け入れることができるのである。

◆ イエスは私たちに、持ってなくても良い、知らなくても良い、できなくても良い、ただ信じなさい、と言っておられる。幼子のような素直な心で、イエスを見、イエスの御言葉に聞き、従う歩みに導かれたいと思う。           

(松﨑 準)

過去の記事