今週の一面『 和解の現実化(フィレモンへの手紙から)』1/11

管理人

フィレモンへの手紙を通して、神様が私たちに語っていることは、和解の現実化ということではないかと思います。パウロも、フィレモンも、オネシモも、それぞれイエス・キリストを通して神と和解することがゆるされ、キリストの愛の内に生かされる者となりました。今や彼らは神の家族です。もはや、それぞれが勝手に神と和解し、好き勝手に生きているのではないのです。神と和解することがゆるされた以上、隣人とも和解しなければなりません。自分は神にゆるされたけれども他の人のことはゆるせないというのでは、本当に神と和解をしたことにはなりません。そのような自分勝手な個人的な信仰はパウロが主張するイエス・キリストへの信仰とは言えないのではないでしょうか。パウロは、そのことをフィレモンとオネシモに、そして、現代に生きる私たちにも語っているのです。
私たちは、主の大いなる憐れみと和解の言葉によって日々生かされています。だからこそ、私たちの頑なな心が日々与えられるキリストの愛によって溶かされ、そして、互いに溶け合って一つとされる関係を求めていきたと思います。互いに赦し合い、助け合い、愛し合いつつ、神の家族として共に歩みたいと思います。

(松﨑 準)

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28)

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