今週の一面 『献身して教えられたこと(2)』3/1

Shin1

〜受け身の時間を持つ〜

◆「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか。注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない」(マタイ6:28)自ら動く、自ら求める、自ら思い煩うということなしに受け身でしっかりと生きている一輪の花に、私たちは神の愛、すばらしい創造のわざを見ます。

◆動物は「動く物」と書きます。植物は「植えられた物」と書き、動きません。そのふたつの性質をしっかりと自分の中にもつことが必要だと、神は語ります。動の時間と静の時間、つまり能動的な時間と受動的(受け身)な時間のバランスを保つことが非常に重要なのだと、神は語るのです。

◆受け身の時間とは、自分から進んで何かをして動き回っている時間ではありません。まったく受け身になって、たとえば今日一日神は私に何をせよと望んでおられるのだろうかと問うような時間です。

◆クリスチャンの間ではよく、「静思の時」「メディテーション」「ディボーション」という言葉を使います。受け身になって神からの語りかけを聞く、何もしないで静かに神からの働きかけを待つという静思の時が日常生活の中で非常に重要で、それがなければ魂が干からびてしまいます。

◆私たちは忙しく毎日動き回っています。でもそんな生活ばかり続けていると、必ず燃え尽きて(バーンアウトして)しまいます。バーンアウトの最も大きな原因は、働きすぎというよりむしろ「受け身の時間」をとっていないからではないかと思います。  

(石田政美)

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