ハレルヤ!
サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である(創世記23章1節)
明治生まれの私の祖母は、今年104歳を迎える。
内臓疾患無し、食事も自分で摂り、排泄と入浴は介添えを必要とするけれど、寝たきりの状態ではない。
先日も施設に見舞いに行ってみたら、私が誰かは分からないけれど、ニッコリ出迎えてくれた。
お祖母ちゃんと呼ぶと不機嫌になるので、キクちゃんと呼んであげている。
JOYチャペルがある街「南万騎が原」は、宅地整備が届かない荒れ野原の時代が昭和20年代まで見られ、キクちゃんは当時一番最初に引っ越してきた住人となった。
古い写真を見ると、一軒だけぽつんとキクちゃんの家屋が建っている。
数年後に集合団地が建設され、区画整備が進み、ポツポツと地域住民が増え、その後相鉄いずみ野線が開通した。
キクちゃんは、私の父を含め5人の息子がいた。
長男と次男の父が天国に逝ったことはわかっていない。
長く生きると、子供を先に見送ってしまうことが起こるけれど、その悲しみは新しい朝には失せてしまうらしい。
今は5人の息子を産んだことすら記憶がないのだ。
同区の最高齢の女性が、今年107歳を迎えているらしいから、キクちゃんもすぐに追いついて祝ってもらえるのではないかと思う。
そして先頃、海外の65歳の女性が出産したことがニュースになっていた。
創世記に登場するサラが、90歳を超えて出産することも、127歳まで生きたことも信じがたいことかもしれないけれど、これ全て神様からの祝福。
明治、大正、昭和、平成と戦争や震災を超えて、100年以上をくぐり抜けたキクちゃんは、サラに与えられた奇跡同様、神様からの祝福。
キクちゃんはもう何一つ自分で決めてはいない。
神様に寄り添って、お任せして生きている。
捨てるモノ一つもなく、拾うこと一つもせず、ただただお任せしている。
もしも、横浜市で最高齢の長寿になったら、キクちゃんの皺だらけの手を握って、ぎゅっと握って、神様に感謝の祈りを二人で捧げたい。
by MxM