~オリーブの香り~No160『生きて働くみことば』

Shin1

「わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」(口語訳 ピリピ4:11~13)

これは、今月2度も出会った聖句である。

5月の初めに、90歳で亡くなられた元医師の葬儀があった。キリスト教主義の社会福祉法人で理事兼病院長や高齢者施設の医務部長を務め、教会にあっては長く長老として教会を支えてこられた方である。生前によく読まれていた箇所がこの聖句だと紹介があった。
小児科医として子どもの命や健康と向き合い、その後には決して運営が楽ではない社会福祉法人の理事として様々な問題に飄々として取り組んでおられた一人のクリスチャンを支えた聖句。改めて生きた言葉として読むことができた。
また、12年ぶりに大学時代のサークルの同窓会があった。その席上、スピーチの中で、私の顔を見たら思い出したといって、この聖句をフルセンテンスでメモもなく読み上げた先輩(さすが元特別支援学校の校長!、クリスチャンではないが西南学院の出身)がいて驚いた。折りにふれ励ましになった聖句であったようだ。同窓会で語られるのは、本当にドラマのような人生模様、親の介護、子どもの教育。学生時代とは違う同窓生の顔を見たというより、新しい同志に出会った気分である。それぞれの来し方に思いを馳せ、暖かい気持ちになれた一時であった。
聖書の言葉は生きている、あたかも言葉が生の感情をもって生身の人間に迫ってくるのだと思えた5月だった。
「ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている」とは言えない。今後の自分の老後を考えることさえ「びくびく」している自分がいる。しかし、確かに様々な場面で神様の計画と導きがあったと確信している。
「祈ること」、「神と人を大切にすること」という目にみえないものを大事にしながら、いつの日か「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」という信仰を持ちたいと願っている。

By とうちゃん

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