今週の一面『 断腸の思い 』 2/14

Shin1

◆聖書には「憐れみ」という言葉がよく出てきます。特に福音書に多く見られます。例えば、
・「イエスは...群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひし
  がれているのを見て、深く憐れまれた。」(マタイ9:36)
・「重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて
  願い...イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ...」
  (マルコ1:40,41)
・「主はこの母親を見て、哀れに思い、『もう泣かなくともよい』と
  言われた。」(ルカ7:13)等。

◆多くの聖書で「憐れみ」と訳されているこの言葉(スプランクニゾマイ)は、ギリシア語原典を最も忠実に訳している岩波訳では「断腸の思い」と訳されています。「断腸の思い」とは、「腸(わた)が千切れるほどの深い悲しみ」という意味です。それは、昔の中国のあるお話に由来します。
・「晋(しん)の武将桓温(かんおん)が船で三峡(長江の三つの渓谷)を渡ったとき、従者が猿の子を捕らえて船に乗せた。母猿が連れ去られた子猿の後を追って、悲しい泣き声をたてながら、どこまでもどこまでも必死についてきた。そして、ついにその船に跳び移ることができたが、そこで息絶えてしまった。その腹を割いてみると、腸(わた)がズタズタに千切れていたそうです。」

◆「憐れみ」という言葉の中には、これほどまでに深く辛い悲しい思いが込められている。それは、ただ「かわいそう」という思いを遥かに超えています。そしてそれは、私たち一人一人に対する主の思いが、主の愛が、いかに深く、大きいものなのかと気づかされます。今日も主は、この混沌とした世界を断腸の思いで見ておられます。

◆主よ、私たちを、その主の思いに応え、主の愛に生きる者とならせてください。

松﨑 準

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