今週の一面『 教会の姿...神の家族 』 2/28

Shin1

◆前回の巻頭言(1/24)で、"教会という集まりは、さまざまな人が集まっている多様性を持ったもの(雑然としている)。つまり一人ひとり違っていなければいけない"との藤木正三牧師の一文を紹介した。さらに藤木牧師は、「教会とは何かをするため(doing)組織ではなく、「お互いがいたわり合っていく集まり(being)である」と語っている。

◆同じ内容を「神の家族」という形で、フィリップ・ヤンシーは『教会〜なぜそれほどまでに大切なのか』(いのちのことば社)で述べている。
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「人間の組織では、人は職務を遂行することで地位を獲得する。...昇進という報酬を見せられれば、人は猛烈にやる気を起こすものだ。しかし家族においては全く異なる。人は家族の中でどのようにして地位を得るのだろうか。子どもは、ただ生まれてきたということだけで家族の権利を『獲得』する。知能に障害があるからといって、家族から追い出されたりはしない。それどころか『生産性』のほとんどない病弱な子どもが、実際、健康な兄弟姉妹よりも多く目をかけてもらえる。...『無関心、ライバル意識、そして嫌悪感と共存しながら、好き嫌いを超えた領域で、愛がいかに存在するのかを、家族は私たちに教えてくれる』」
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◆人はその存在によって家族の一員たる地位を確実にするのであって(being)、決してその働き、能力、機能(being)によってではない。まさに教会の姿は「神の家族」そのものである。   

石田政美

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