今週の一面『 イエスの受難から見えてくる平和の神の姿 』 3/20

Shin1

「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」(マタイ26:42)

◆この祈りは、自分の思い通りになることよりも神の御心が行われることを最優先にする、凄まじい苦しみの中でなされたイエス様の祈りです。
「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」とイエス様は苦しみ悲しみもだえながら、自らの弱さを神の前にさらけ出しつつ、弟子たちに見捨てられ、孤独になってもなお祈り続けました。最後にイエス様は「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と言って、自分自身との戦いに勝利し、徹底的に神の意志に従うことを決断しました。

◆父なる神に励まされ、誘惑を克服し、徹底的に神の御心に従うことを決意したイエス様は再び、弟子たちのところに行きます。そして「立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」と言って、あらゆる苦難が自分の身に起こることを受け入れ、飲みたくない杯を飲むという歩みに進んで行かれます。

◆この姿勢は弟子たちを伴って敵に向かって攻め込む姿勢ではなく、あらゆる苦難と重荷をすべて受け入れようとする姿勢であり、戦いの姿勢とは正反対です。自ら苦難と、痛みと、裏切りと、孤独を受けるために進んでいくこの歩みは「敵を愛しなさい」という歩みであり、「剣をさやに納めなさい」という歩みであり、「誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向ける」歩みです。これらは正に、平和の神の姿です。

松﨑 準

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