今週の一面『 絶体絶命・・・「ところが・・・」 』5/1

Shin1

今週のディボーション① 使徒言行録23章

◆「絶対に無理、そんなのあり得ない」と思われるようなことは私たちにもあります。このときのパウロは正にそんな状況の中に置かれていました。しかし、真夜中にパウロは主の声を聞きます。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(11節)。「ローマで証しをする?ローマどころかエルサレムで捕われているのに...?」、人間的(現実的)に考えれば、「そんなのあり得ない」ことです。しかも、パウロはユダヤ人たちの陰謀によって殺さることになっていたのです。「ところが...」(16節)、その絶体絶命の中に神様の介入があり、パウロは安全に次の道へと導かれていくのです。

◆「私たちは神が天地の創造者、支配者であると信じている。なれば、私のために神が働くことを期待すべきではない。私が神の御用をしていくとき、神の御力にふれるのである。ご自身のお声を聞いて従っていく者のために、神は天も地も用いて御業を進めてくださる。自分は神の御用をするにはふさわしくない、と十分に知りながらも、神がいま自分を用いてくださるのだと神に聞き従っていくときに、『ところが』という世界が開かれるのである。」(一日一章より)

◆私たちが自分の常識という狭さの中で何かを考えるのではなく、神様の無限の広さの中で考え、祈り、そして、主に委ねていくときに、この「ところが」という奇跡が起こされるのです。「地を相手に生きる」のではなく、パウロのように「天を相手に生きる」歩みへと変えられたいと思います。

松﨑準

過去の記事