今週の一面 『教会の調和(序)』 8/28

Shin1

「しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。」(Ⅰコリント12:24,25/新改訳)

 使徒パウロは、人間の体は、神が実に巧妙に調和を持たせて創造されたことを述べた上で、教会は人間の体の構造に似ていると言っています。劣っている部分を優れた部分が補うことで、互いに調和し合うというのです。つまり、教会には調和が非常に大切なのです。
教会に集う一人一人が互いに「いたわり合う」ことがキリストをかしらとするキリストの体、教会の姿なのです。

 「教会はオーケストラにも似ています。指揮者はもちろんイエス・キリストです。私たちは異なる楽器を担当する演奏者たちです。各自が自分の役割を理解し、ほかの楽器との調和をはかりながら、ベストをつくして"霊的シンフォニー"を奏でます。その音楽によってメッセージを伝え、聴く人の心をいやすのです。教会は、この世のどんな集団とも違う存在です。人の集まりである以上、課題はつきませんが、それでも教会はキリストをかしらとする霊的な存在です。それにふさわしくあるために、私たちはどうあればよいのでしょうか。」(野田秀牧師)私たちはこの問いを常に持ち続けたいと思います。

 先日のリオ・オリンピックでは、男子400メートルリレーで日本は銀メダルという歴史的快挙を成し遂げました。一人一人の実力は、世界レベルからはほど遠いものですが、しかし、それぞれが全力で自分の役割を果たし、次の走者に100%の信頼をもってバトンを託した結果、素晴らしい成果をおさめることができたのです。このように一人一人が弱い存在であったとしても、互いに信頼し合い、委ね合うということも「教会の調和」を考える上で非常に大切なことであると思います。

松崎 準

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