今週の一面『キリストの香りを放つ』11/13

Shin1

◆私は、現在東京バプテスト神学校の聴講生として、毎週1回授業を受講しています。先日の授業で、『教会は御言葉と聖霊によって世界から選ばれ、召し集められる群れ(エクレシア)であると共に、また御言葉を携えて、神の国の証人としてこの世界へと派遣される群れ(ディアスポラ)である。』という解説で、こんな例話を聞きました。

◆ヨルダン川には、上流から"フラ湖"➡︎"ガリラヤ湖"➡︎"死海"という3つの湖があります。上流の"フラ湖"は、下流に水を放流する(与える)だけの小さな湖で、"ガリラヤ湖"は、上流からの豊かな水(恵み)を受け、下流に水(恵み)を放流する(与える)ので、魚や動植物も多く豊かな恵みの湖です。最下流の"死海"は、上流からの豊かな水(恵み)を受けるだけで、どこにも放流しないために塩分濃度が高くて生物の棲めない正に死の海となってしまったのです。教会も、"死海"のように神の恵みを受けるだけで与えないならば、死の海(教会)となってしまいますが、"ガリラヤ湖"のように、沢山の恵みを受けてかつ沢山の恵みを与えていく(伝道する)ならば、神様からの豊かな恵みによって祝福され用いられる教会となるのです。

◆私たちの教会は、"ガリラヤ湖"それとも"死海"でしょうか?私たちは、主日礼拝に出席して、神様の御言葉によって、慰められたり、励まされたり、希望を頂いたりすることで、霊の糧を頂いて新しい1週間をそれぞれの生活の場で元気に歩むことができます。でも、自分さえよければそれでよいのでしょうか?あるいは、教会の外に出た途端に別の仮面を付けて日常生活を送っている方もおられるかもしれません。礼拝で頂いた恵みを少しでも日常の生活の場で分かち合ったり、伝えたり、あるいは何らかの方法でキリストの香りを放つことができれば、・・・と思わされました。『「礼拝」と「派遣」の循環が繰り返されることが、教会にとっても大切なのです。教会の生命は礼拝にあり、教会の使命は伝道にあります。』と講師の先生は強調されていました。一人一人のこととして、何ができるか考えてみませんか?

『だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。』(マタイ28:19)

澤田 猛

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