今週の一面『金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい』2/19

Shin1

◆イエス様当時の人々にとって、身近で最も大きな動物はらくだでした。そして、針の穴は最も小さいものでした。大きならくだが小さな針の穴を通りぬけることなど絶対に不可能です。不可能であることが「まだ易しい」と表現されるほどに、金持ちが神の国に入るのは難しいということをイエス様は強調して言われたのです。これは、私たちが金持ちかそうでないかを問うているのではありません。

◆神の国に入る門というのは、私たちがあれもこれも両手に抱えてその門を通り抜けようとしても、両手の荷物が引っ掛かって通れないような門です。どんなに大切な物であっても一旦その門の手前で手放さなければ、その門の向こう側で待っておられるイエス様のところに行くことはできません。また、一旦手放した荷物が気になって未練がましく後ろを振り返ってばかりいたら、イエス様と共に歩いていくことはできません。

◆イエスがこの金持ちの人に言いたかったことは、「永遠のいのちとは、行いによるのではなく、イエス自身を信じることにある」ということだったのです。しかし、「行い」と「所有」を握りしめていた彼の手は、自分の目の前に伸ばされたイエス様の手を掴むことができなかったのです。

◆私たちは今、両手にどれだけの荷物を抱えているでしょうか。イエス様に従おうとするときに、その沢山の荷物を手放すことはできるでしょうか。イエス様は、慈しみの目で私たちを見つめ、手を伸ばし、「わたしに従いなさい」と招いておられます。

松﨑 準

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