今週の風景 No.516

管理人
石田牧師によるメッセージでした。
JOYチャペル立ち上げから二度目の旅立ちにあたって、神様から示された事柄を力強く語っておられる、そう感じたメッセージでした。

20170528_01.JPG

私は小学校の高学年の頃、クラスメートと一緒に教会学校に通っていました。
この友人が教会に行くことになったきっかけは、私の大失敗の出来事からでした。
私は小学校の時とてもお調子者で、悪気はないのですが冗談で言ったことでかなりの数のクラスメートを傷つけたことがありました。
同和教育の時間に、自分が辛かったことを作文で書き、それを発表する授業内容だった時、次々と私の発言で傷ついたことが発表されました。それはクラスの半数以上に及びました。
発表される度、その人に謝り、が幾度となく繰り返され、子供心に針の筵のような気持ちだったのを痛烈に憶えています。

もちろん、私は西南学院神学部で学ぶ父がいて、西南グラウンドの横にある家族寮に住んでいてクリスチャンであることはクラスのみんなは知っています。
クリスチャンである私が人を傷つけてしまって・・・と正直、学校に通うのが辛くなりました。

しかし、この出来事をクラスメートが自分のご両親に話した時に、ご両親が不思議に思われたのだそうです。
何が不思議かというと、次々に読まれる内容に、逃げずにひたすら謝り続けることは小学生にはなかなか出来ないだろう・・・と言うものでした。
そこから、「その強さはクリスチャンだからなのか?」と不思議に思い、教会に一緒に行くように言われたのだそうです。

自分にとっては非常に心が傷む経験でしたが、普段の暮らしの中の何気ない振る舞い自体が主を証しすることに繋がっている、ということを学びました。

普段の暮らしの中で主を証しする起点にあるのは、やっぱり礼拝ですよね!
そして、礼拝で得たもの、聖書の御言葉を会堂に置いて帰るのではなく、日々の暮らしのなかで滲み出す、神様の香りを漂わせれるようになると素敵ですよね!

過去の記事