◆以前イスラエルに行った時、ユダヤ教からキリスト教に改宗し、今は聖書の地理や考古学を研究しているという一人のユダヤ人が説明してくれました。
◆「ここは、かつてダビデがサウル王から逃げまどって、つらい日々を隠れながら過ごした荒野です。実は、そこから『荒野』というヘブライ語は、『ことば』からきたと思われます」と。
◆水もなく、動物も植物も生きられない苛酷状況の荒野。けれども、この極限の状態でダビデは神にのみ信頼すべきことを、特に神の「みことば」にのみ信頼を置いて生きるべきことを学んでいったのではないか、とのことでした。
◆人に頼らず、神にのみ拠りすがり、そのおことばが必ず成就することを信じて疑わず、ひたすらに待つ。
◆この得がたい信仰の学びを習得するのに、荒野はダビデにとって最善の場所だったのでしょう。
「サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、
エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。」
(I.サムエル24:1/新改訳)
石田政美