今週の一面『エサウとヤコブ① 〜創世記25:19-34〜 』2/3

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◆イサクが60歳の時にエサウとヤコブが生まれました。エサウは、「巧みな狩人で野の人」でした。一方ヤコブは、「穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした」人物になりました。二人は、それぞれの性格にふさわしい職業につき、その役割を果たしていました。しかし、イサクとリベカは彼らを平等に愛することをせず偏愛していたのです。イサクは、エサウの獲物が好物でした。その結果、エサウを愛したのです。リベカは、エサウではなくヤコブを愛しました。この偏愛が結果として彼らの関係性を壊していくのです。

◆ある日、ヤコブは長子の権利をエサウに求めました。長子の権利には
①二倍の相続の特権、
②家族のリーダーとなる特権、
③神様の特別な祝福を意味していました。(申命記21:17)
確かに、彼らが生まれる時、「兄が弟に仕えるようになる」と言われていたが、ヤコブは狡い方法で長子の権利を手に入れたのです。このことが種となり、後にヤコブは家族の元を離れました。

◆エサウはヤコブとは反対に長子の権利を軽んじていました。祖父アブラハム、父イサクから与えられるはずだった祝福を彼は、自分の欲望のために簡単に手放してしまったのです。「まただれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。」(ヘブライ12:16)
エサウにもヤコブにも人間的な弱さがありました。

◆クリスチャンは問題や弱さを持っていない人間ではありません。弱さも問題も同じように持っている人間です。むしろ、弱さを多く持っている人間かもしれません。しかし、この弱さを知っているからこそ、主にを求め、主に依り頼む人になるのです。神様は自分自身に満足して自分を正しいとする人をではなく、主に救いを求める人を受け入れてくださるのです。

坂西恵悟

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