今週の一面 『「神の栄光を」出エジプト33:18』10/6

Shin1

◆イスラエルの民が犯した罪のために、再度神様へのとりなしを行なったモーセ。共におられることをやめる決断をされた神様に、再度共におられることを求めました。モーセのとりなしにより、神様が再び共にいてくださる約束をしてくださいました。(33:12-17)

◆モーセはその祈りだけでなく、「神の栄光を私に見せてください」(新改訳)と迫ったのです。聖書において、「神の栄光を見る」とは、"雲や火の中に神の栄光を見る"、"神の御業の中に神の栄光を見る"、"幻の中において神の栄光を見る"、"神を礼拝し、黙想している中で、神の栄光を見る"、"神の直接的な臨在を見る"が挙げられるでしょう。このように、モーセが神様のご臨在を求めるように、私たちも神様の臨在を求めることが大切だと思うのです。

◆イエス様はラザロを生き返らせる時、マルタにこのように言いました。「イエスは、『もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか』と言われた。」(ヨハネ11:40)

◆モーセがアブラハム、イサク、ヤコブに対して約束されたことを、守られる神様であると信じたように、私たちも聖書を通して主が約束されていることを信じる者でありたいのです。主は、私たちを見放したり、見捨てる方ではありません。今も生きて、私たちを愛し、共にいてくださるお方です。その主に信頼していきましょう。

◆モーセはその後、石の板を持って神様のもとへと進みました。その場所は、静寂な場所でもあったことでしょう。神様の造られた自然の中に静かに主を待っていたことでしょう。私たちも時に、主の造られた自然の中で静まり、主との交わりを持ち、神の栄光を待ち望みましょう。

坂西恵悟

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