今週の一面『召天者記念礼拝』9/10  

Shin1

◆人は死んだらどうなるのか、というのは人類永遠の問いです。聖書はこのことについてどのように教えているのでしょうか。

◆イエス・キリストは十字架につけられ死ぬ前に「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです」と言っています(ヨハネ4:2)。死の向こう側に、私たちを迎える場所が備えられているというのです。この世にあって、イエス・キリストを信じて神との交わりに入れられた者は、死の後には天国で神との交わりに迎えられます。

◆キリストを信じると、地上のいのちの終わりは絶望ではなく、希望に変わります。死は終わりではなく、天国への入り口なのです。聖書は死んだ人のことを「眠りについた人々」と呼んでいます。それは今の世の終わり、つまり新しい世界がはじまるときには、生きている人も死んだ人も神様に呼び出されて、再び会えることが約束されているからです(第一テサロニケ4:13〜17)。ですから死が愛する人との別れをもたらしても、失望しないで希望をもって生きていくことができるのです。

◆私たちは生きているかぎり、愛する人を見送るという大切なときを経験します。召天者記念礼拝は、見送った時はつらい経験でもあったでしょうが、再び会える希望を覚える時として、そのために十字架に死んで、天国への道を開いてくださったイエス・キリストに心からの感謝をささげる時なのです。

石田政美

今週の風景 No.528  

管理人
9月になりました。
ヨセフ物語もクライマックスに向かっていきます。
管理人は会社のサーバーが土曜日夕方からダウンしていたので心ここに在らずで礼拝後ダッシュで会社に行きました。
やはり日曜日の礼拝は心静かにみ言葉に耳を傾けたいものです。

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今週の一面『荒野の祝福(2)』9/3  

Shin1

◆この世での生活は、荒野にたとえることができます。嵐が絶えず、逆境と戦わなければいけない厳しい生活です。イスラエルの民も出エジプトの後、このような荒野を通らなければなりませんでした。しかし、神は荒野に驚くべき祝福の秘密を隠しておられました。

◆荒野での初めの祝福の奇跡は、飲む水がなかった時、神が苦い水を甘い水に変えてくださった出来事です。また、食物がなくなったとき、マナをくださり、イスラエルを荒野で祝福されました。

◆イスラエルの民は荒野で敵であるアマレク人に出会いました。民は戦いを避けられない状態でした。しかし、神はアマレクとの戦いに際して、とりなしの祈りの秘密(出エジプト17:8〜13)を教えて下さり、民を勝利へと導いてくださいました。

◆神が共におられる時はすべてが与えられ、勝利することができます。出エジプトのクライマックスは雲の柱と火の柱です。イスラエルの民は行く道を知らなかったとき、神が雲の柱と火の柱で彼らを導き、厳しい荒野での生活をすばらしい祝福の場へと変えられたのです。

◆こどもたちは、宝探しが大好きです。神は荒野にこの宝を隠しておられます。荒野はとても苦しく、辛い所ですが、宝物を見つけた人々には興奮する場であり、祝福の場所なのです。    (続く)

石田政美

先日、ちょっとイライラしている時がありました。
ちょうどその時、息子が家にいて、たいしたことでもないのに息子に声を荒げて
怒ってしまいました。しかも、1度だけではなく。。。

その後、私は自分で自己嫌悪に陥り。。。
これではだめだと息子に謝りました。

「お母さん、本当は嫌なことがあって、イライラしていたの。
だから、叱ってばかりいたお母さんは良くなかった。ごめんね。」
息子は、ただ「うん」とだけ言って、部屋にいきました。

勇気のいることでしたが、やはり謝ることが必要だと思ったので、そのようにして
よかった、と思いました。

その後、日曜日のメッセージをふと思い出しました。
人は、大きくなろうとばかりするが、小さくなることこそ、神の国の平安を得る
ための秘訣。声を荒げて自分が大きくなろうとしていましたが、そうではなく、
しっかり自分の小ささを認めることの大切さを学びました。

謝った後、その前とは違って平安が与えられたのは、言うまでもありません。。。

by りかち。

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