今週の風景 No.496  

管理人
メリークリスマス!

20161225_01.JPG

イエス・キリストのご降誕を共に喜びましょう!

聖書に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1:14)とあります。
すなわち、「神の御子が人となって、この世に来られた」という意味です。神様が私たち一人一人と一緒に生きてくださる。こんな温かなメッセージは他にありません。クリスマスは、私たちとって決断の時でもあります。私たちのためにお生まれになった主イエスを心にお迎えしましょう。そして、主イエスと共に歩ませていただきましょう。

松﨑 準

ふと、思ったことがある。
遠くベツレヘムまで旅をしたあげく、馬小屋にしか泊まれなかった。そんな中で幼子イエスが誕生したとき、父親のヨセフはどんな気持ちだったのだろう。

身重のマリアを気遣い、かばいながらの長い旅と激しい疲れ。聖霊によって身籠った、つまりは自分の子どもではないおなかの子ども、激しい葛藤はなかったか。
貧しくてちゃんとした宿屋が取れない自分のふがいなさ、理不尽な命令をする王皇帝への行き場のない憤り、妻マリアへの申しわけない気持ち。きっと胸が張り裂けそうな悲しみとやるせなさがあったことだろう。

その悲しみをいやしたのは、生まれたばかりの、一見何の力もない赤ん坊。ヨセフは貧しくて何ももたないその手で幼子イエスを抱いたから、ぬくもりを感じ、それが生きる希望になった。博士たちは、自分の財産を全部処分して作った宝物を捧げた。その何も持たない手でイエスに触れたから、喜びが大きくひろがった。虐げられ、何ももたない羊飼いもまた同様である。幼子イエスに触れることで救い主誕生の喜びを与えられたのである。

神様が愛するひとり子をこの世に賜った、その愛の暖かさとぬくもりはこのようである。クリスマスは、神様の愛という暖かさとぬくもりに触れ、お互いに喜びを分かち合う時でありたいと願う。

だから、手に持っているいろんなものを捨て去り、或いはみんなで分かち合い、すべてを捨て去ることが難しくとも、まず何より、手を伸ばし、ひたすら神の愛を求め、直接触れたい。そしてその手で多くの人と喜びと暖かさを分かち合いたい。

私こと「とうちゃん」にとっては、本当に多くのぬくもりと暖かさを与えられた一年だった。様々な心配事で精神や体が変になりそうになった時、えーっと思う病気になったとき、確かに、ただひたすらに神様の手に触れ、励まされたいと願った。神様は、友人たちの祈りという形で、様々な人々の暖かい態度や言葉で、良い医者や病院との出会いで、そして妻の手の暖かさで、私にお応えになった。奇跡のような一年。

さあ、「とうちゃん」よ、神様はあなたの暖かい手の働きを必要とされておられる。
多くの人々とともに、メリークリスマス!

by とうちゃん

 ♪待ちわびし日 静かな夜に かがやく明星 闇に勝ちて
 ♪世を照らせり きよきこの日 救いの主なる イエス生まれぬ(1節)

◆当時、北九州市に大韓教会の会員が経営する喫茶店「山小家」がありました。この讃美歌は、「山小家」を会場に、大韓教会の方たちとの交わりと、真のクリスマスを祝うために開催された青年会主催のクリスマスコンサートに向けて作られました。

◆「12月に入ると町はクリスマス一色になり、日本人は総クリスチャンになります。デパート等ではクリスマスを売り物にしている。そのような現実を憂い、"真のクリスマスを伝えたい"と祈りながら、勤務先付近の繁華街を歩いていたなかで詞と曲が与えられました。山小家はその繁華街にあり、世俗との戦いの中、まさに"真のクリスマス"を示した曲です。原曲は4番まであり、キリストの生誕のみならず生涯まで綴りました。穏やかな詞と曲ですが、"人間が作った光はどんなに輝いていても消え去る。しかし、キリストが与える光は小さくても強く永遠にひかり続ける"という力強いメッセージを込めています。」(作曲者 天野時生)

◆真のクリスマスの光は、繁華街のきらびやかな光でも、駅前のきれいなイルミネーションの光でもなく、私たち一人一人の心を照らす主の光です。今年のクリスマスイヴ礼拝の中で、この讃美歌を歌います。以上のような背景を心に留めつつ、共に賛美しましょう!

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネによる福音書1:14)

松﨑 準

今週の風景 No.495  

管理人
アドベント四週目。
ルカの福音書から受胎告知
『神にできないことは何一つない』
にたいするマリアの信仰応答がクライマックスの箇所でした。

20161218_01.JPG

2 3

過去の記事