今週の風景 No.409  

管理人
クリスマス礼拝でした。
普段なかなか来られない未信者のご家族の人たちも見えられていて会堂がほぼ満席になっていました。
クリスマスはひとつの伝道のチャンスなのだと実感しました。
来年は長男を連れてこようとかたく誓いました。


今週の一面 12/21  

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「わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる!」(ヨハネ11:25)

◆皆さんは、自分の人生についてどう考えているだろうか?いつかは死ぬ?永遠に生きる?アニメ等で「この薬を飲めば絶対に死なない」とか「不老不死」という言葉がよく出てくる。それは人間が皆望んでいることだ。人はどんなことをしてでも、どんなにお金を払ってでも長生きしたい、死にたくない、と考える。でもそんなに頑張らなくても永遠に生きることができる。

◆どうすれば良いのか?それはイエス様を信じるだけで良い。多くの人は、天の高いところでニコニコ笑っている優しい神様のところに行くには、沢山良い事をして、善い人間になって、自力で到達しなければならない、と考えるだろう。けれどもイエス様は自ら私たちのところに来てくださった。それも光り輝く栄光の姿ではなくとても貧しい姿で。

◆だから私たちは、ただこのイエス様を信じるだけで良いのだ!テストで90点以上取らなければとか、100mを何秒で走らなければならないとか、聖書を暗記しなければならないとか、そんなことは必要ない。「ただそのままで良いから来なさい。信じなさい。」とイエス様は招いておられる。
◆教会のAちゃんは、「こっちにおいで」って呼ぶと、疑いもなくすぐに来てくれる。私たちもそうやって神様から「こっちにおいで」って呼ばれているのだ。だから、ただ行けば良い!そこには私たちが思っていたよりももっと優しいイエス様がいる。イエス様は私たち一人一人の名前を呼んで「恐れることはない。ただ信じなさい。」(ルカ8:50)と言って両手を広げて待っていてくださっている。いつまでも待っていてくださっている!
クリスマスはそんな優しいイエス様がお生まれになった日。

(松﨑 準)

今週の風景 No.408  

管理人
待降節第三週目の礼拝、キャンドルは三本目まで点火されました。
いよいよ来週は四本全てに点灯するクリスマス礼拝です。

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メッセージの「インマヌエル 主が私達と共におられる」は全ての痛みに効く万能薬のように、平日の仕事疲れを癒してくれました。

今週の一面 12/14  

Shin1

◆2005年の12月に、私はイスラエル旅行に行きました。パレスチナのベツレヘムにあるイエス様が生まれた場所とされている教会を訪れました。丁度待降節でしたので教会では立派な服を着た聖職者たちが礼拝のような儀式を行っていました。

◆私たちは生まれたばかりのイエス様が寝かされていたと言われている場所の写真を撮ったり、手で触れたりして感動しながら教会の中庭に出て、ヒエロニムスの像の前で天を仰ぎながら「きよしこの夜」を讃美しました。しかし、その中庭の壁一枚隔てた外側の路上では、貧しい小さな子どもたちが観光客に「一ドル、一ドル」と言って物を売っていたのです。彼らは必死でした。なぜなら、稼ぎが悪い時には家に帰って親に叩かれてしまうからだそうです。私はその事実を聞いてとても複雑な思いになりました。天を仰ぎ、喜びと感動に浸って、気持ちが高揚している自分が少し恥ずかしくなりました。

◆イエス様がこの世にお生まれになったのは、私のためであると同時にあの壁の向こうで必死になって物を売っている子どもたちのためでもあるのだと思い知らされたからです。

◆彼らはイエス様が生まれたとされる場所のすぐ近くで生活をしていながら、イエス様を知らないのです。子どもと言うだけで大人たちから、また、社会から虐げられている。そして、生きるために必死になって物を売っている。彼らが稼いだお金はすべてが彼らの生活費になるのではなく、一部は税金として納められ、自国を守るための軍事費とされるのだそうです。その時私は、インマヌエルの神はどこにおられ、誰と共におられるのかと考えさせられました。                 

(松﨑 準)

今週の風景 No.407  

管理人
待降節第二週目の礼拝、キャンドルは二本目に点火されました。

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