◆こんな話があります。宗教改革者マルティン・ルターは、ある時、大きな問題・悩みを抱え落ち込んでいました。すると、そこへ奥さんがお葬式用の黒いドレスを着て、彼のそばにそっと立ちました。すると、彼はびっくりして尋ねました。「どうした。誰が死んだのかね。」奥さんは答えました。「神様がお亡くなりになりました。」、「ばかを言うな。そんなことあり得ないだろう。」とルターは怒って言うと、奥さんはこう言いました。「もし神様がお亡くなりになったのでなく、まだ確かに生きておられるなら、その生きておられる神様を信じているあなたが、どうしてそんなに落ち込むのですか。」自分の不信仰に気づかされたルターは直ぐに悔い改め、元気を取り戻したということです。

◆私たちも「もう無理だ、もうダメだ!と落ち込むことがあります。しかし、そんな時私たちは生きて働かれている神様の存在を忘れています。まるで神様がもうすでに死んでしまい、もう二度と私たちの祈りが届かないかのように思ってしまうのです。

◆イエス様は聖書を通して私たちに、「空の鳥を見なさい」(マタイ6:26)と言われます。「空の鳥は何もしなくても天の父は養ってくださっている。あなた方は鳥よりも価値があるじゃないか」と。空の鳥や野の花を見る時に、私たちは神様が「今」生きて働いておられるのを知るでしょう。生きて働かれる神様が日々私たちと共におられ、共に歩んでくださる、こんな幸せなことはありません。

◆神様の存在に気づき、自分の不信仰を悔い改めて元気を取り戻したルターのように、私たちも日々繰り返し、神様の存在を感じながら元気をいただき、歩ませていただきましょう。

松﨑 準

私がはじめてイースターエッグと出会った(見た?)のは15年前...
まだイエス様の事をよく知らない頃の事でした。
当時、幼稚園の年小さんだった息子はよく熱を出し、その日も大好きな幼稚園をお休みしていました。
(結局、その年の登園日数は97日でした。)
その日の夕方、玄関の呼鈴がなりドアを開けると、そこには担任の理恵先生が立っていました。
「今日は園児達とイースターのお祝いをしました。」(えっ!!イースター?...ってモアイとなんか関係あるの!?←心の声)
「イースターの時は春休みがほとんどなので、子ども達とお祝い出来るのは珍しいんですよ。」
と、息子にお祝いのおすそわけを届けて下さったのです。
理恵先生が届けて下さったのは、薄いピンク色に染められたかわいらしいゆで卵でした。
長――い1日を家の中で、2人きりで過ごしていた私達にとってそのピンク色のゆで卵はなんだか特別なプレゼントのようで、息子とニコニコ、ニヤニヤしながら卵をしばらく眺めていました。
つまらなかった1日が一瞬でステキな1日に変わりました。
理恵先生の心遣いに感謝します。

今では、私達母子も感謝な事に救われて
『イースター=イエス様の復活を祝う特別な日』と、理解しています。

毎年、毎年、イースターにはゆで卵を作り、卵におめかしをします。
私の(あなたの)大切な家族がイエス様の愛を知ることが出来ますように。
一緒に神様を賛美する事が出来ますようにと祈りながら...

by ゆかりん

「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにしてくださる。」(詩編103編2~5節)

◆「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」は、単に過去を懐かしむ詩ではありません。主の御計らいを何一つ忘れず、今を生き、将来を生きるための詩です。しかし、私たちの心はすぐに失ったものを数えようとしたり、不安なことや心配なことばかりを数えようとしてしまいます。あるいは、今の楽しみだけに心が引き寄せられたりもしてしまいます。しかし、詩篇103編は「主の御計らいを何一つ忘れるな」と命じています。

◆主の御計らいとは、「主はお前の罪をことごとく赦し」(3節)とあるように、主が私たちの罪を赦してくださったことです。このことを詩編103編の著者は、4つの角度から伝えています。
 ①罪を悔い改め低くされた者に注がれる主の高き愛(11節)
 ②罪を悔い改めた者の罪を忘れてくださる主の広き愛(12節)
 ③私たち罪人に走り寄る父の愛(13節)
 ④永遠に変わることのないとこしえの愛(17節)

◆私たちはこれらの愛を、御計らいを、恵みを、何ひとつ忘れてはならないのです。そして、神様は、私たちが礼拝や祈り会や教会で行われるあらゆる行事を通して、聖書の御言葉を共に分ち合うことを、何よりもまず求めておられるのです。

◆今日から始まる2016年度、私たち一人一人が4つの愛に囲まれている恵みに感謝しつつ、主のために、そして、教会のために、互いに仕え合っていきましょう!

松﨑 準

4月2日、3日と勤務先の新入職員研修で、御殿場にあるYMCA東山荘に行ってきた。
この御殿場の名産品のひとつにハム、ベーコン、ソーセージなどがある。その中に「二の岡ハム」がある。これが大好きで、今回も会場に入る前に、二の岡ハムの売店で、ボローニャソーセージを仕入れた。私の頭の中では、YMCA東山荘=二の岡ハムであり、ワクワクとして御殿場まで車を飛ばした。

戦前、御殿場の二の岡地区には、キリスト教宣教師や著名人の別荘があり、アメリカ村と呼ばれていた。アメリカ人の宣教師を中心に養豚業、ハムやベーコンを製造しただけでなく、地域の振興のため、地元の人たちにその技術を伝授したそうである。その味を今も守っているのが、この二の岡ハムである。そして、この製造法を教えたのは、福岡の地から御殿場に移り住んだG.W.ボールデン、西南学院第3代院長である。御殿場と西南学院の関わりを発見し、より御殿場が身近になった気分である。

また、御殿場は「広岡浅子」にゆかりの地である。この東山荘も1915年に建設されたとき、浅子が多額の寄付を集めている。また、近くには浅子の別荘があり、そこでは夏季勉強会が開催され、村岡花子もそこで学び、「浅子」から多くの影響を受けたとされている。

そういうキリスト教にゆかりの土地でキリスト教主義団体の新入職員研修をもてることは、幸せなことである。新人の初々しい職員と接しながら、私も気持ちを新たにすることができた。この東山荘に滞在しているときは、朝早く黙想館に行くのを楽しみにしている。黙想館には、大きな一枚ガラスがありその向こうに富士山の雄大な姿がまるで絵のように見える(写真)。
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「山辺に向かいてわれ、目をあぐ・・・・」という聖句が自然に浮かぶ。この風景の中にあって、自分がなんとちっぽけな存在であるかということに気が付く。そして、こんな私を神様が「大切」にしてくださることへの感謝があふれてくる。

さあ、新しい年度の始まり。新社会人、新入学の人たち、いつも希望をもって進むことができるように共に祈りつつ歩みましょう。

by とうちゃん

今週の風景 No.464  

管理人
新年度開始です!

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