◆私が、初めてバプテスト教会と出会ったのは、結婚講座の時でした。バプテスト教会のことをよく知っていて訪問した訳ではなく、妻の親類から紹介された教会が、たまたまバプテストの教会だったということでした。その後、横浜戸塚バプテスト教会、横浜JOYバプテスト教会で信仰生活を過ごしてきました。一昨年から、東京バプテスト神学校の聴講生として半年毎に1講義を受講し始めましたが、是非バプテストの歴史についても学びたいと思い、今期は"バプテスト史"を受講しました。

◆バプテスト教会は16世紀のヨーロッパ大陸の宗教改革の潮流の中で、イングランド国教会の改革を徹底しようとしたピュリタン分離派を母体として歴史の舞台に誕生しました。ローマ教皇をはじめとする高位聖職者の腐敗、ローマ・カトリック教会の教えに抗議し、真の聖書的教会を形成しようとしたのでした。信仰の基準、権威としては「聖書と教会の伝統」を、救いの条件としては「信仰と良いわざ」を主張するローマ・カトリック教会に対して、バプテストは「聖書のみ」、ただキリストの恵みを信じる「信仰によってのみ」を主張しました。

◆私は、バプテスト史を学び、先人たちの命がけの活動があって今日のバプテスト教会があることやバプテストの拘り、良き伝統や課題についても知ることができ、バプテストがますます好きになりました。と同時に、日本のクリスチャン人口の少なさを考える時に、教派を超えた伝道の必要性についても痛感させられました。

◆バプテストの信徒手帳には、バプテストの歴史や特徴について分かり易くまとめられていますので、是非、もう一度手にとってみてはいかがでしょうか。

澤田 猛

今週の風景 No.440  

管理人
夏休みも残りわずか。
今日は澤田兄による信徒メッセージでした。
マタイ20章:ぶどう園の労働者の箇所からでした。

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朝から一日立ちっぱなしで職を求めていた労働者が、もう諦めかけていた夕方に一時間の仕事にありついた時の心境たるやどれほどだったことでしょう。
きっとザアカイさんではないですがそれこそ人だかりで前にいけずあぶれてしまっていたのでしょうか・・・。
そんな弱い人を見つけて声をかけてくれる神様の愛に感動です。
きっと・・・きっと・・・我が家にも声をかけてくれると信じて祈り続けます。

■ 今夏、次女がアメリカのあるお宅にホームステイしました。
日本のチャーチスクールで英語のテキストで学んでいる娘に、少しでも本場の英語に慣れてほしいとの思い、英語圏のどこかにホームステイできないかと考えている中で、昨年6月にJOYチャペルで「アメリカンウィーク」として招いたロサンゼルス郊外の教会グループを思い出し、ホームステイを依頼できないかを聞いてみました。結果、快くホール先生ご家族が承諾くださり、約3週間の娘のホームステイが決まりました。

■ 自分自身も、アメリカ留学の体験が自分の人生に大きな意味を与えるものとなり、多くのことを学ぶ経験となったので、長く家族と離れたことはない娘にとって良き経験となるよう、「かわいい子には旅をさせよ」の気持ちで送り出しました。

■ 1週間のサマーキャンプで子供たちのお世話をしたり、ホームステイファミリーと車で片道8時間の道のりを一緒に旅してクリスチャンキャンプに参加したり、時差ぼけする間も無くいろいろな活動を共にさせていただきました。

■ いまは地球のどこに行ってもインターネット経由でいつでもビデオ通話などが可能なので、遠く離れていても簡単にコミュニケーションをとることができますが、その3週間は連絡も取らなかったので、どっぷり英語の世界に浸り、貴重な体験が出来たのではと思っています。

■ ホール先生とは昨年初めてお会いし、メールではやり取りはしましたが、数日間JOYチャペルにお招きしただけの間柄でしたが、私の家族の願いを聞き入れてホームステイ先を引き受けてくださり、惜しみないおもてなしをしてくださいました。このように旅人をもてなす愛を持って私たち家族を受け入れてくださったことに感激し、感謝に堪えません。また、隣人を愛し、もてなすことの大切さを改めて考えさせられたこと、また、クリスチャンの兄弟姉妹は、世界中どこででも主にある豊かな交わりが持てる素晴らしさを改めて覚えるときが与えられたことを神様に感謝しています。

■ このホームステイを通して、またお互いの教会が、共に励ましあう交流のきっかけになることを願いつつ。

「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」
ヘブライ人への手紙 13章 2節


by しん1

今週の一面 『道の向こう』 8/16  

Shin1

◆牧師室の壁に新しい絵を飾った。絵と言っても荒野に続く真っ直ぐな一本の道路と大きな空が描かれているだけ。牧師室で仕事をしているとき、ふと目を上げるといつもその絵の中の道が私の目に入ってくる。そのたびに私は自分がその道を歩いているような感覚になって、道の向こうに何があるのか、と考えてしまう。

◆道の向こうに何があるのか分かれば、そこに向かって気持ちを集中させ、様々な準備をしたり、綿密な計画を立てたりできるのに...と思ってしまう。45歳までに○○をし、50歳になるころには○○になっていたいなどと人生を自分勝手に思い描き、事を急ぐ自分がいる。それも悪いことではないと思う。

◆しかし、人は自分が生まれる時も死ぬ時も、自分でコントロールすることはできない。植物も植える時、収穫する時は、人が決めるのではなく、自然に聞かなければ分からない。病気になる時があり、回復する時がある。これも人の力ではどうにもならない。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレト3:1)と聖書は言っている。つまり、人が「時」をコントロールできるのは、実はほんのわずかなことだけなのだろう。

◆そうであるなら、道の向こうに何があるのか、主に聞くしかない。分からなくても苛立たず、その「時」を待ちつつ、主に信頼し、一歩々歩みを進めて行くしかない。きっと主が両手を大きく広げて待っていてくださるだろう。自分の思いや計画を断念し、主の導きに従うことを、その絵は気付かせてくれる。
(大した絵ではありませんが、一度牧師室に見に来てください!)

松﨑 準

今週の風景 No.439  

管理人
私の夏休み最後の日の主日でした。
ヤコブが格闘したベテルの箇所からでした。
重大な決断を迫られる局面ではガチンコで神様と向き合わないと!

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先週、隣人と出会う旅に参加した3人の高校生から報告(証し)がありました。
それぞれに感じるところがあり貴重な体験が出来たようで良かったと思いました。

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