・私の夫(牧師)はおもしろい失敗をして度々みんなの笑いのタネになります。
ある時 教会の修養会に行って そこの山荘の大浴場に行った夫はタオルを
忘れたのですが、取りに戻るのも面倒に思い ポケットにあったハンカチで
体を洗ったのです、この場面を目撃されてしまい それ以来「ハンカチ牧師」
となりました。
・黒柳徹子さんは旅のホテルでの朝食バイキングのことを本に書いています。
別のホテルに泊まった(満室のため)友人(女優)がゆで卵が大好物だった
ことを思い出し、その友人のためダウンコートの左右のポケットに卵を1個づつ
入れました。
その後 移動バスで友人に話すと、友人は「あら!嬉しい!!今日はまだ食べて
いないの」と言うのでウキウキとポケットに手を入れたら、ポケットの中は
ヌルヌル、底のほうはドボドボ状態だったとのこと。もうおわかりでしょう
ゆで卵に見えたのは生たまごだったのです。
・夫は沖縄のホテルでゆで卵を見つけて、トレーの上で滑らないようにポケットに入れ、
その後知人とお話ししながら朝食をすませました。
ダイニングルームを出た時同行していた娘に 「パパ!ズボンが濡れてる!!1」と
そうでしたさっきポケットに入れた卵は生たまごだったのです。
・こんなおもしろい失敗するのは夫だけと思っていましたが、似ている いえまったく
同じ人見つけてしまいました。
・私たちクリスチャンはキリストに似る者になることを目指しています。
By ゆっこ
◆聖書には「憐れみ」という言葉がよく出てきます。特に福音書に多く見られます。例えば、
・「イエスは...群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひし
がれているのを見て、深く憐れまれた。」(マタイ9:36)
・「重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて
願い...イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ...」
(マルコ1:40,41)
・「主はこの母親を見て、哀れに思い、『もう泣かなくともよい』と
言われた。」(ルカ7:13)等。
◆多くの聖書で「憐れみ」と訳されているこの言葉(スプランクニゾマイ)は、ギリシア語原典を最も忠実に訳している岩波訳では「断腸の思い」と訳されています。「断腸の思い」とは、「腸(わた)が千切れるほどの深い悲しみ」という意味です。それは、昔の中国のあるお話に由来します。
・「晋(しん)の武将桓温(かんおん)が船で三峡(長江の三つの渓谷)を渡ったとき、従者が猿の子を捕らえて船に乗せた。母猿が連れ去られた子猿の後を追って、悲しい泣き声をたてながら、どこまでもどこまでも必死についてきた。そして、ついにその船に跳び移ることができたが、そこで息絶えてしまった。その腹を割いてみると、腸(わた)がズタズタに千切れていたそうです。」
◆「憐れみ」という言葉の中には、これほどまでに深く辛い悲しい思いが込められている。それは、ただ「かわいそう」という思いを遥かに超えています。そしてそれは、私たち一人一人に対する主の思いが、主の愛が、いかに深く、大きいものなのかと気づかされます。今日も主は、この混沌とした世界を断腸の思いで見ておられます。
◆主よ、私たちを、その主の思いに応え、主の愛に生きる者とならせてください。