今週の風景 No.477  

管理人
今日は澤田兄による信徒メッセージでした。
古いものを捨て去り新しくされることについて解説されました。

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スモールグループの時、メッセージで引用されたエフェソ6:34からの神の武具について話題になった際、「一つ一つ武具として認識すると頭で考えてしまうけれども、車に乗るときにシートベルトをするように、当たり前の動作として考えれるといいよね」とのコメントに物凄く共感したのが本日のハイライトでした。

この頃、肩が痛い、首筋が痛い。膝が動かないこともあれば、大腸が動かないこともある。せめて同時に痛いのは1か所にしてよね等々、自分の体に文句を言う私に与えられる言葉がある。若いころ、私はスポーツマンだった。校内のスポーツ大会ではいつもスターだったと自慢する、「よくある」高齢者になっていく私。また時々高慢ちきになって、妻をはじめいろんな人に迷惑をかけている私を諭す詩がある。
ニューヨークリハビリテーション病院の壁に掲示されている詩。

「苦難にある者たちの告白」-ある患者の詩-

大事を成そうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるように健康を求めたのに
よりよきことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。

私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

日々反省しつつ、祈りながら歩みたい。
byとうちゃん

今週の一面『朝の15分』7/24  

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◆「一寸先は闇だ」とはよく言ったもの。それゆえ「一日一生」だと先人が警告したのだろう。

◆『聖書一日一章』(榎本保郎著)で、聖書通読している方が多くおられる。その榎本牧師は、アメリカ伝道旅行中に52才で客死された。その時、夫人の榎本和子姉は、この痛手から「どうして立ち直ればよいのですか」「どうして生きていけばよいのですか」と毎晩、天に向かって訴えた。何をする気力もない日が幾日も続いた。しかし、「わたしには主人が教えてくれた『朝の15分』があった。主人に教えられたとおり、毎朝一章ずつ聖書を読んでいたのです。」

◆すると、ある朝「イスラエルよ、今からとこしえに主によって望みを抱け」(詩131:3口語訳)という御言葉に出会ってハッとした。「主が望みなのだ。主がおられるのだ」と。「以来、聖書を開く朝のひとときは、わたしにとって、なくてはならない恵みの時となった。わたしは御言葉によって立ち直ることができたのです。」そして、『新約聖書一日一章』がご夫人の手で出版されたのです。

◆「御言葉には、力がある」そして、「祈りには、力がある」とあります。ぜひ、聖書通読にチャレンジしてみませんか。たったの「朝の15分」がその人の人生を決定し、変えるのです。

石田政美

◆ある本を読んでいたときに、ある言葉が目に飛び込んできました。「いつ私たちは、インマヌエル(神は我々と共におられる)を感じるだろうか。それは、伝道をしている時だ。」私はこの単純な文を読んで、確かにそうだ!と思わされました。

◆牧師になる前、何度か、友人や同僚に福音を伝える機会がありました。今それぞれの時のことを思い起こすと、一生懸命になって伝えようとしている私に、神様が伴っていてくださったという実感が確かにあったように思います。それは普段意識する(心で感じている)神様とは少し違った感じです。伝道している時の方がよりクリアでより近いような感じがするのです。
「弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」(マルコ16:20)
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」(使徒18:9)

◆主が共におられて、共に働いてくださるという御言葉の約束を信じる時、私たちは主から勇気と慰めと励ましをいただき元気が出てきます。だから、私だけがするのではなく、そこで主がなしてくださることを信じ、委ねたいと思うのです。

◆なかなか結果が出ない伝道、しかし、諦めず祈り、語り続けていく時、「わたしも見下され、見限られ、見捨てられるような目に遭いつづけたから、あなたの無念さ、淋しさはよく分かる。大丈夫、わたしがあなたとともにおり、あなたを支え続ける」と言ってくださる復活の主に出会うのです。

松﨑 準

~オリーブの香り~ No 215 『還る』  

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火曜の夕方、フルート奏者の方々が控え室に戻り、車椅子で点滴をぶら下げた患者さん達を病室に送り終えた後、中庭の緑の木々を眺めながら食堂の椅子を片付けていた。ふと...30年前の出来事を思い出す。

あの時は、父の傍らで聴いていた。
病と向き合う人々に、音楽という癒しのギフトが、生きるエネルギーに変わる時間。

20年前の出来事も思い出す。
激しい腹痛に見舞われ、救急車で運ばれたまま、数週間入院していた事を...。
スタスタと歩けるようになって、ロビーで奏でられるクラシック曲に、耳を傾けてやさしい身体に戻っていくことを実感したあの日。

10年前も同じ...この時は、自分が声を放ち歌った。
ガラス越しに聞いてくれたパジャマ着の幼い子供たちに、涙が溢れた。

父と一緒に聞き、自分ひとりでも聴き、奏でもして、今は病院内での音楽環境を整える側に立つ...。

20年以上続いている、カトリック教会のクリスチャンを中心に構成された、ボランティアの会に参加している。プロテスタント信者も、信仰を持たない者も共に奉仕に従事している。
ここでの世界は多様性に富んではいるが、それぞれの場所から、痛みや苦しみという共通項を抱え、回復を祈り、還る処を悟る時を与えられる。

その、ほんのひと時の中に、神の音楽が在る。

~主よ私をお使いください~
主よ、今日一日
貧しい人や病んでいる人を助けるために
私の手をお望みでしたら
今日、私のこの手をお使いください

マザーテレサの祈りより...

人はみな、主の元に還るのだ。
...還れるのだ。

ハレルヤ!

by MxM

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