「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」(2テモテ3:16,17)

◆横浜JOYバプテスト教会のミッションステートメントにこのような1文があります。「主の日の礼拝と祈り会、そしてデボーションを大切にします。」教会の大切にしているものの一つであるデボーション。デボーションは「献身」「忠誠」という意味が本来ですが、教会においては、「静思の時」や「神様との交わり」という意味が強いです。なぜ、教会はデボーションを大切にしているのでしょうか。それは、このテモテへの手紙に書かれていることの通りです。聖書によって、私たちは整えられていきます。日々のデボーションは私たちがクリスチャンとして歩む上で必要不可欠なものなのです。

◆「S.O.A.P」と呼ばれるデボーションの方法があります。「S」=Scripture(みことば)、「O」=Observation(観察)、「A」=Application(適用)、「P」=Pray(祈り)の4つの項目で進めていく方法です。(『The Divine Mentor あなたを導く神様の個人レッスン』 ウェイン・コデイロ著)
「S」:その日読んだ聖書箇所から "1節" 今の自分に必要な、心に止められた御言葉を選びます。もちろん、始める前に"お祈り"から始めてください。その中、必要な御言葉が与えられるように祈ってください。
「O」:読んだ聖書箇所にどのようなこと(もの)が書かれているのか、何がどのように、どの場所で起こったか、誰に起こったかなどの背景や状況を考えてください。
「A」:「S」と「O」を通して、どのように適用できるかを考えてください。
「P」:デボーションの感謝と適用することが実行できるように祈ります。

◆以上のことをノートにメモします。そうすることで、何を考えたか、感じたかを整理することができ、振り返ることができます。デボーションテキストを使用している方や、「1日1章」を使用されている方など、様々な方法でデボーションをしていると思います。今の方法をそのまま継続していただいてもいいですし、今勧めた方法でデボーションしていただいてもいいです。何より大切なのは、私たちが毎日、御言葉を読む(聴く)ことです。』

坂西恵悟

今週の風景 No.563  

管理人
本日のメッセージは坂西牧師でした。
神様第一再確認でした。
司式者の祈りの中にあった「神様のみ言葉を聞く事に集中できるよう、心の中にある邪魔なものを取り除いてください」のような内容にハッとされ、その後のメッセージの内容とリンクしていたな〜と感じました。

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「知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。感謝の歌をうたって主の門に進み 賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をほめたたえよ。主は恵み深く、慈しみはとこしえに 主の真実は世々に及ぶ。」  (詩編100:3-5)

先週に引き続き、詩編100から礼拝について学びましょう。礼拝は「主に向かって喜ぶ」こと。「主に仕える」ことを学びました。今週は、3節から5節を通して学びたいと思います。

3.主を知る
 礼拝の目的の一つに「主を知る」ことであると聖書は言います。主はどのような方でしょうか。3節には、「主はわたしたちを造られた。」とあります。また、詩編96:5,6からも「主が造られた」ということを知ることができます。3節の後半部分からは、私たちを養ってくださるのが主であることがわかります。つまり、私たちは礼拝のプログラム一つ一つを通して「主を知る」ことができます。礼拝の様々なところに、主がどのような方かを知る機会がたくさんあるということを私たちは覚えましょう。私たちを養ってくださる主がいつも私たちに必要なもの(こと)を用意してくださっているのです。

4.主を賛美する
 4,5節から、「主を賛美する」ことの大切さを学ぶことができます。礼拝において賛美は必要不可欠です。感謝を携え、主を賛美し礼拝をすることが大切です。詩編100は「感謝の賛歌」と言われています。まさに「主を賛美する」ことが礼拝なのです。賛美を通して感謝をささげ、賛美を通して主を知ることができる。賛美は主との交わりを深めます。賛美によって、満たされ、励まされ、慰められます。それは、一般の歌とは違い、主なる神へのささげものだからです。だから、私たちは賛美を通して主を知ることがだできるのです。
「どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。」    (詩編34:1)

坂西恵悟

今週の風景 No.562  

管理人
今日は、筑波教会の高橋牧師によるメッセージでした。

「苦しむことも恵み」と言っている宗教はキリスト教くらいなもの...の解説に、
「むむ、確かに・・・」と思いました。
いろいろな事で精錬・鍛錬されているのも神様からのめぐみですね。

高橋牧師は午後の按手の学びも奉仕くださいました。

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「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え 喜び歌って御前に進み出よ。」(詩編100:1,2)

◆礼拝は「神様への応答」です。では、何に対しての応答なのでしょうか?それは、神様が私たちを招いてくださることへの応答なのです。

◆礼拝プログラムの中に「招詞(招きの言葉)」があります。神様が、私たちの罪をゆるしてくださり、神の子どもとして私たちをご自分のもとへと招いてくださるという意味があります。この詩編100は、招詞としては非常に有名な箇所です。ここでは、神様の招きに対して私たちのあるべき応答の姿が書かれています。

1.主に向かって喜ぶ
 この詩編の詩人はどのように神様への応答を行うのか、一番はじめにあげたことが「喜ぶ」ことでした。礼拝は、沈黙してささげるものではなく、喜びの叫び、歌を持ってささげるものなのです。毎週の礼拝で「喜び」はありますか?「喜び」をもって集まっているでしょうか?私たちは、親しい友人などに招かれる時、どのような思いを持つでしょうか。反対に、友人を招く時、どのような思いを持ちますか。招かれる側が疲弊しきっているととても残念だと思うのです。友人に招かれた際、そのような状態で伺うことはしないでしょう。礼拝も同様です。神様は私たちを招いてくださっています。私たちは「喜び」をもって、その招きに応答することが大切です。

2. 主に仕える
 2つ目に「主に仕える」ことを聖書は教えています。教会の礼拝には様々な奉仕があります。司会、説教者、奏楽者、受付、アッシャー、ナースリーなどの目に見える奉仕、週報作成、印刷、掃除などの目に見えない奉仕。1回の礼拝を行うために様々な奉仕によって支えられています。奉仕をしてくださりありがとうございます。神様も一番喜んでくださっているでしょう。私たちが「主に仕える」こと。これも私たちの「神様への応答」です。奉仕を通して主を喜び、賛美し、感謝を表していると思うのです。誰のためでもなく、主のために共に仕えていきましょう。        礼拝③につづく

坂西恵悟

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