・先日、私たちの教会の沿線にある超教派の牧師の会がありました。
うちの牧師も毎回楽しみに参加してます。
今回は一番近い、お隣関係の教会が会場でした。
私は他の用事で一緒だったK姉に同乗してもらい、終わる頃を見計らって
車で迎えに行きました。
ナビを設定して行ったのですが、目的地近くに来たのでしょう
「目的地周辺です、案内を終了します」とアナウンス。
エッ〜〜〜!!教会は見当たらないけどオ。。。
その時、車の脇を二人の婦人が歩いておられるのが目に入り、
私はとっさに「スミマセン!この辺に ◯ ◯ 教会ありますか?」と聞きましたら、
その二人の婦人、クスッ!と笑顔で『あら、そこですよ、ホラ すぐそこ!」と
なんと、私たちは教会の数メートル前にいたのですが、目に入っていませんでした。
急いでUターンしましたら、二人の婦人は笑顔のまま、手を振って、目指す教会を
指して最後まで笑顔で見送って下さいました。
目の前に教会が見えました。
・二人の婦人の笑顔と、心よく案内して下さった姿が目に焼き付いています。
この教会はこの地域に根ざし、また好意を持たれているのですね。
・私たちの教会も、植栽をしたり、看板も大きく建てました。
外見は美しく、きれいに、目立つ教会になりました。
・ ◯ ◯ 教会のように地域に根ざし、聖書に書いてあるように、好意をもたれる
教会になりたいです。
いつも東北の被災地を覚えて、祈り、支えてくださり、本当にありがとうございます。
私の中で、忘れられない光景があります。昨年の震災後、ようやくガソリンが手に入り、高速道路が開通になった頃、東北の被災地に立てられた教会・伝道所を訪問させていただいたことがありました。その時、痛感したことは、今回の震災によって被害が及んだ場所は、余りにも範囲が大きく、地域によって、向き合わされている課題が全く違うということでした。そのような現状を目の当たりにした時、今後の復興、支援の在り方が、どこかの地域だけが孤立したり、その地域の課題だけが置き去りにされてしまうような形にならないようにと強く思わされました。被災地の状況は、未だ先の見えないような状況が続いています。津波被災地も未だ復興作業が進んでいませんが、福島では今も原発事故の問題に翻弄されながら日々を過ごしています。そのような中で、被災地の方々の課題や痛みが置き去りにされてしまうことがないようにと祈らされています。