宮城谷昌光は「孟嘗君」という作品の中で、孟嘗君(田文)の育ての親とでも言うべき大商人で社会事業家の「白圭」の臨終の場面で、次のように書いている。
「文どの、人生はたやすいな」
「そうでしょうか」
「そうよ・・・・。人を助ければ、自分が助かる。それだけのことだ。わしは文どのを助けたおかげで、こういう生きかたができた。礼をいわねばなりません」
「文こそ、父上に、その数十倍も礼を申さねばなりません」
「いや、そうではない。助けてくれた人に礼をいうより、助けてあげた人に礼をいうものだ・・・・・」(宮城谷昌光『孟嘗君5』講談社文庫P292)

年の初めに心うたれた言葉である。隣人愛の精神とは、このことではないのかと気づいた。しかし、こういう生き方をしたいと願うが殆ど難しいと思う。
人間はわがままで、自己中心的である。そして何より弱い。けれど、自分で自分を何度も裏切りつつ、世俗にまみれ、妥協と小賢しい知恵の中で汲々として生きていても、心の中には、こうありたいという願いを持ち続けていきたい。
神は、そのような人間の弱さを十分にわかりつつこういってくださる。
「あなたがたには、世に苦難がある。しかし、勇気をだしなさい。わたしは既に世に勝っている。」
By とうちゃん

今週の風景 No.412  

管理人
新年第一主日は石田牧師のメッセージでした。
エイジングにおける優位性的な感じで、初老の管理人にこれからの方向性を指し示してくれました。

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◆今年度も「拡大しもべ会ビジョン修養会」(1月11日〜12日)が開かれる。テーマ「共に育てられる教会」〜複数牧会〜である。

◆念願の二代目牧師松﨑牧師が就任し、私(石田)と複数牧会を歩み出し、新たな教会形成がスタートした。

◆神が私たちに用意しておられる「目的ある人生」「家族としての教会」というのは、一人で孤独に生きていく人生ではありません。私たちは互いに他者を必要としている存在です。この世界を創造されたときから、神は、私たちが他の人との関わりを持ちながら、共に神の目的に生きるようにと計画しておられるのです。教会の人々とさまざまなスモールグループのメンバーとして周囲の人々と一緒に生きていくことが、神の変わることのないご計画なのです。二人は一人にまさっているからです。(コヘレト4:9)。

◆神は他の人々「特に教会の人々」を用いて私たちの人生を豊かにし、共に育ててくださいます。神はそんな私たちを用いて、どのように他の人々を祝福してくださるかがわかるようになるでしょう。

◆第1に、神の家族である教会において、互いの愛を深めていくことです。第2に、私たちの教会の地域に住む人々、隣人、家族に対して、その愛を増していくことです。そのどちらも、健全でバランスのとれた、目的に導かれた人生を歩むためには欠かすことができないものです。         

(石田政美)

聖 書:  コリント人の手紙二 3章16

     ヘブライ人の手紙 5章7~10節  

 

説教題:『年齢を増し加える意味

 

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2015年元旦 講壇の花  

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