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先日、森に暮らす友人宅で数日間過ごしました。日の出と争うように畑の手入れ、収穫、草取り、森の木の伐採、薪ストーブのための薪割り、軒下への積み上げ、などなど・・・。夕食後は広い場所で山のように積上った草や落ち葉に火をつけます。その焚き火で体を暖めながら夜空を見上げると、横浜では見られないたくさんの星が輝いていました。

2ヶ月前に森の別棟の小屋の住人になったN青年も一緒に空を見上げました。N青年は1ヶ月間イスラエルを一人旅した経験者!「イエスさまが誕生されたベツレヘムはどんな星空だったのかしら?」と、話が自然に聖書の世界に入っていった素敵な夜でした。

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同じ日、偶然つけたNHKのテレビ番組が印象的でした。アイルランドのアイベラ半島を、「世界一の夜空」の認定へと導いた一人の母親。美しい夜空を保護するため、村人一人一人に忍耐強く呼びかけ続ける姿に感動しました。ちなみにこの村では、肉眼で4000個の星が見えるそうです!夜空の保護活動を評価する国際ダークスカイ協会から、最高級のゴールド認定を受けました。

この母親が呼びかけたことは、明るすぎる家々の電気や道路の外灯のワット数を落とし、光を下向きにすることです。1つ電気を減らすと10個の星が見えるようになるそうです。常々夜の車の運転時、対向車のヘッドライトが明るすぎると憤慨している私。我が家の電気も経済を考えワット数を変えたばかりでした。

今週の一面 11/9  

Shin1

子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない

(マルコ10:15)

◆「子供」と訳されている言葉は、他に「幼子」(文語訳、口語訳フランシスコ会訳等)と訳されていることが多い。「幼子」とは児童福祉法で、「満1歳から小学校に就学するまでの子供」とされている。イエスは弟子たちに「幼子」のようになる大切さを教えている。幼子のようになるとはどういうことだろうか。

◆「幼子」は、持っていない、知らない、できない。つまり、自分の力で生きることのできない弱い存在である。しかし、「大人」にとっては、持っていない、知らない、できない、ことは恥ずべきことであり、持っている、知っている、できる、ことで大人はその人の価値や能力を見出すのである。だから大人は、持っていること、知っていること、できることに満足し、それらに誇りを持つ。その誇りこそが「神の国を受け入れる」ことを邪魔しているのではないだろうか。

◆「幼子」のようになるということは、神の前に弱く、小さく、低くなることである。神の前に自分の弱さを認め、自分には神の助けが必要であると認めたときにはじめて、幼子のように神の国を受け入れることができるのである。

◆ イエスは私たちに、持ってなくても良い、知らなくても良い、できなくても良い、ただ信じなさい、と言っておられる。幼子のような素直な心で、イエスを見、イエスの御言葉に聞き、従う歩みに導かれたいと思う。           

(松﨑 準)

今週の風景 No.402  

管理人
11月に入りました。
今日はとても嬉しい出来事が!

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聖 書:マルコによる福音書101316

説教題:『幼子のように』

 

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